一般社団法人 鹿児島県バスケットボール協会
第2回 鹿児島バスケの思い出と未来への提言
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第2回 鹿児島バスケの思い出と未来への提言

一般社団法人 鹿児島県バスケットボール協会
イラスト:ぽたろ

永吉佑也選手(京都ハンナリーズ)
鮫島和人選手(鹿児島レブナイズ)

永吉と鮫島。鹿児島出身のBリーガーであり、永吉が学年1つ上とほぼ同世代の2人は体型も、ポジションも、プレースタイルも違う中で、ある共通項がある。
 2人とも中学時代に全国で実績を残した経験がある。永吉は06年春にあったジュニアオールスター大会の鹿児島選抜チームのメンバーで準優勝した。鮫島は清水中時代に全国中学総体でベスト8を経験している。
 彼らは鹿児島で小中学時代を過ごした経験が礎になり、プロへの道を志した。かつての思い出を振り返り、これからの未来を担う次の世代の子供たちへのメッセージを2人に語ってもらった。

コーディネーター
政純一郎(スポーツかごしま新聞社代表)
アシスタント
宮迫崇文(鹿児島県協会 強化委員長 国体成年男子監督)


 永吉君はお久しぶりです。早速ですが、バスケットを始めたきっかけを教えてください。

永吉 ご無沙汰いたしております。僕の場合は父が会社のバスケットチームに入っていて、よく応援に行っていました。ユニホームやシューズなど、バスケットに関するグッズも家にたくさんあって、身近なところにバスケットがある環境で育ちました。
 小3から明和小のミニバスに入りました。父の影響は大きかったです。
 母親は高校時代に陸上の円盤投でインターハイ優勝し、県の高校記録を持っています(※1987年のインターハイで43m76を投げて優勝)。父がバスケットで、母が陸上。それぞれアスリートの育て方には自分なりの考えを持っていて、そんな環境の中で育ったのは大きかったですね。

緑丘中時代の永吉選手

 和人君はどうでしょう? 家系的にもバスケットをやるしか選択肢はなかったような…

鮫島 幼稚園の頃、実はサッカーをやりたかったんですけど、家族に反対されました(笑)。
 小1から坂元台でミニバスを始めました。家族全体がバスケット一家なので、気がついたら生活の一部になっていました(笑)。
 1つ下で近所に住んでいた玉田(博人)とはずっと1on1をやっていました。
 永吉さんは1つ上だったので、小学校の頃から名前は知っていましたが、印象深いのは中学時代ですね。ジュニアオールスターのチームを率いていたのが、当時の清水中の顧問だった川添(裕司)先生で、清水中でジュニアオールスターの練習もやっていて、そのチームの相手をさせられていました。
 永吉さんだけでなく、その代はすごい力のある選手たちがそろっていたので、1つ下の僕たちは当然かなわない。ジュニアオールスターの練習なのに、僕らが川添先生に怒られたのをよく覚えています(笑)。

清水中時代の鮫島選手

レッドシャークス、そして川添先生


 2人のバスケットの原点には今のレブナイズの原点でもある鹿児島教員レッドシャークスの存在が大きかったと聞いています。

永吉 僕にとってはヒーローのような存在でした。KTSの作った特集番組を見たことも覚えています。このチームに入りたいと思える憧れでした。毎回試合を見に行くのが楽しみで、練習試合にも足を運んだことがあります。
 宮迫先生に出会ったときの感動は今でも忘れられないです(笑)。陳 海沫(チン・ハイモ)選手もかっこよかったですね。外国籍の選手が普通にプレーしていて豪快にダンクを決めていました。小川先生、伊藤先生、鈴木先生…今でも直接お会いしたら緊張すると思います(笑)。

鮫島 永吉さんと同じですが、僕にとってもヒーローでしたし、自分の夢を持つきっかけになってくれたチームでした。

 永吉君は2006年3月にあった各都道府県の選抜チームによる全国大会ジュニアオールスターで準優勝を経験しています。何か思い出がありますか?

永吉 一番の思い出は、九州のチームが集まって交歓大会をした時のことですね。福岡かどこかであって、優勝して、帰りのサービスエリアで下りて、ワチャワチャしていたら、川添先生に怒られてしまいました(笑)。いつも厳しい先生でしたが、あの時は「調子に乗るなよ」というメッセージだったのだと思います。
 あのチームは僕と一緒に延岡学園に行った川元、横瀬、キャプテンだった中村元気は今、鹿児島で教員をやっています。れいめいに行った戸島、川内に行った児島もいました。

 中学で全国優勝の一歩手前まで行った経験ってどんなものですか?

永吉 将来を意識するようになりましたね。鹿児島の人間だからなのかもしれませんが、全国で勝てたという意識があまりなかったです。準優勝だったことが悔しくて、高校ではもっと全国で勝ちたい、もっとバスケットがうまくなりたいと思うようになりました。

 永吉君は選抜チームでしたが、和人君の場合は2007年の全国中学総体に清水中で出場し、単体のチームでベスト8でした。その2年後の2009年には鹿児島であった全中で清水中が準優勝しています。このあたりの流れをどのように感じていますか?

鮫島 やはり1つ上の永吉さんたちが準優勝したことは意識しましたね。1つ下の僕たちのジュニアオールスターは全然勝てなくて、このままじゃヤバいという空気感がありました。選抜チームで勝てなかったからこそ、清水中単体の全中は結果を出したいという気持ちになりました。そこで清水中がベスト8に入ったことで、2つ下の代も意識高く取り組む流れができたと思います。鹿児島が良い結果を出す流れ、伝統のようなものができていました。

 2人の中学時代にとって、やはり川添先生という存在は外せないですね。

永吉 僕の場合は選抜チームの監督でしたが、直接お会いする前はいろんなイメージがありましたが、実際話をしてみて一番感じたのはバスケットが大好きということです。それまでに会った人の中では断トツにバスケットへの熱さ、愛情を感じた先生でした。
 高いレベルのバスケットを目指しておられて、いろんな知識を持っていました。それまで習ったことのない戦術なども教わりました。レベルの高いところでバスケットをさせてもらったことが、当時の自分にとって楽しくて仕方なかったです。厳しい方でしたが、いろんなものをこのコーチから吸収したいと思わせてくれた先生でした。

鮫島 僕は一度担任の先生だったこともあります!(笑)クラスの総代をしなかっただけでめちゃくちゃ怒られたりとか…部活だけでなく「学校でもお前らが主役になれ!」と言われていました。当時の僕はそういうのが嫌だったのでストレスのたまる毎日でした。

写真右側 鮫島選手

 そういう経験が今に生きていることはありますか?

鮫島 他人に興味を持つということを教わった気がします。昨年レブナイズでヘッドコーチをさせてもらいましたが、中学時代の経験がその時にいきました。他人に興味を持つことでその人のカラーを知ることができました。今の自分は「みんながハッピーになれば自分もハッピーになれる」というマインドなので、その下地は間違いなく川添先生に作ってもらったと思っています。

延岡学園の恩師 北郷先生の教え 強豪校に感じた恐れ


 では高校時代に移ります。永吉君は延岡学園という全国屈指の強豪校に進学して、インターハイ準優勝も経験しています。その時の思い出は何かありますか?

永吉 大会で優勝したことなどバスケットのことよりも、バスケットのこと以外の記憶の方が鮮明に覚えていますね。バスケットに関してはプロで今までやり続けているので、その時々でいろいろとアップデートされていくので高校の時のことは覚えていないです。
 北郷(純一郎)先生といろいろ話したことや、チームメートといろんなことをしたことなどはよく覚えています。団結力が強いチームでした。友人やコーチとの関係も、何も不純なものがない、純粋な関係が3年間続きました。
 今僕がプロで続けていられるのも北郷先生の教えが大きいです。挨拶と返事の仕方を一番に教えていただきました。元気のいい挨拶をする。「はい!」という返事もお腹の底から大きな声を出す。その大切さを学びました。
 バスケットは出会いが大切な競技。個人が技術的にうまくなることも大切だけど、どういう人に、何を教わるか、その人の人間性が大切になります。その礎を作ってくれたのは間違いなく北郷先生でした。

鮫島 僕の高校時代、全国で勝ったのは1年生のウインターカップだけなんです。それ以外はずっと初戦敗退でした。
 福岡第一や延岡学園と試合をすると、今思い返せば気持ちの部分で負けていました。正直、ユニホーム姿に威圧感や恐怖感を覚えながら試合をしていたと思います。留学生がいて、その周りの日本人高校生も、月刊バスケットに載っているような有名な選手がいる。そういうチームを相手にすると試合前のマインド設定がとても難しかったです。

鹿児島工業高校時代の鮫島選手

プロとしての現在地


 過去の話はこれぐらいにして、「今」について語りたいと思います。Bリーグが2016年に発足して6シーズンが経ちました。サッカーのJリーグに続くプロリーグとして定着しつつあり、昨年東京五輪があったことでバスケットに対する注目度も上がっているように感じます。「プロ」として過ごしてきたこの6年間はどうだったでしょうか?

永吉 僕は大学を卒業してから最初は東芝に入っていわゆる実業団からのスタートでした。Bリーグ1年目は川崎の所属でしたが、立場は東芝の社員でした。プロとしての自覚を本当に意識したのは17年に京都に移籍してからでした。
 東芝にいた時よりも注目度は間違いなく上がりました。B1にいると外国籍選手のレベルが年々上がっているのを感じます。チームにいる外国籍選手と話すと、日本の環境はすごく良いみたいです。リーグとしての稼ぎも上がってきたことで、それなりのレベルの外国籍選手を獲得することができるようになりました。そういう中でプレーできているのは、すごく幸せな気持ちになります。
 プロの意識として大事なのは、生活の中のリズムを自分で管理しなければならないということ。チーム練習は1日の中で2時間ぐらいです。試合の場合も会場にいるのは3、4時間といったところ。残りの20時間あまりの時間をどう過ごすかがとても大事になってきます。その時間と自分の持っているお金をどう使うか、考えなければいけなくなりました。自己投資で身体をケアする道具を買ったりするようになったのは、プロになってからでした。

 ポジション的にもインサイドで、強力な外国籍選手とマッチアップする機会も多いと思いますが、何か感じるものがあるのでは?

永吉 ディフェンスしていて特に思いますが、外国籍選手とマッチアップしていて自分のところが「狙われているなぁ」と感じます。ただ狙ってもらわれているのは僕にとって成長できるところだと考えています。
 常に乗り越えなければいけない壁が目の前にあるから、それにどうトライしようかとは常日頃考えています。その環境に身を置いているのは、自分のブレない目標である「日本代表」を目指す上でプラスになっていると思います。

 2m以上の外国籍選手を相手に、日本人でも「やれる」と思える確信みたいなものは見えていますか?

永吉 今、日本代表監督にトム・ホーバスさんが選ばれたのは、そのテーマを任されていると思います。彼でなければできないと日本協会の人たちも考えているのでしょう。だからこそ僕もその一員として戦ってみたい気持ちが強いです。
 Bリーグで外国籍選手とマッチアップしていて、決して0対10で負けているわけではないです。しっかりした良い準備ができていれば、良い戦いができたという経験もあります。そういう成功体験が自分の中の糧になっています。だからこそトム・ホーバスの日本代表でやってみたいと強く思っています。

 和人君はレノヴァ、青森、レブナイズ、これまでB2、3の経験が長いですが、振り返ってどうでしょうか?

鮫島 「苦」の時代が長いですね(苦笑)。でもやりがいはすごくあります! 自分が好きなことを職業にできている。今は更に地元・鹿児島でやらせてもらっている。今いるレブナイズがどうすれば地元の人たちに愛されるチームなるのか、毎日考えています。今季はこれまでになく多くのメディアの方にも取り上げていただけるようにもなり、少しずつそういうチームになっている手応えを感じています。

 「苦の時代」の象徴が、2017年のチーム消滅の危機だったと思います。今、あの時のことを振り返るとどうですか?

鮫島 なくなるかもしれないという時に、確かにきつい思いはしました。でもそういったときに手を差し伸べてくれる人がいたということは、このチームが愛されているということだと思いました。決して鹿児島にバスケットが根付いていないことはないと僕は考えています。サッカーの鹿児島ユナイテッドFCさんが良い例ですが、鹿児島はスポーツの力でいろんな人を巻き込んで盛り上がっていけるところです。いずれはスポーツだけでなく経済も回せるようになる。そうなったときにユナイテッドさんと並んでレブナイズがその中心になれるようなクラブになっていかないといけないと考えています。

 今季はなかなか出番がなく、悔しい思いもされたのでは?

鮫島 自分の中にあるスタイルを崩したら、僕らしさがなくなってしまいます。今季はなかなか出番がなかった中で、自分の中で成長しないといけない課題も見えました。
 選手はプレーしてナンボなところがある。試合にでないと技術もメンタルも落ちてしまいます。ある意味、ヘッドコーチの指示に対してイエッサーにならないといけない場面もある。自分が変わらないといけないと強く感じたシーズンでした。

 永吉君から見たレブナイズはどうですか?

永吉 あまり試合を見る機会などは少ないですが、鹿児島に帰省して、体育館を借りてワークアウトするときは、和人ら選手たちとは練習する機会を持っています。バスケットに対してみんな真面目に一生懸命取り組んでいるのを感じます。そういう人たちは結果で報われて欲しいと思っていて、陰ながらですが応援はしていました。

「結果よりプロセスを」=未来に向けて


 では最後に「未来」というテーマに移りましょう。鹿児島で育った先輩として、今の中高生に伝えたいメッセージがありますか?

永吉 後悔ではないのですが、僕は中学まで鹿児島にいて、県外に出なければ高校では全国で勝てないと思っていました。でも今思い返してみると、人生は全国大会で勝つことが全てではない。僕の同期にアルバルク東京の田中大貴という選手がいますが、長崎の公立高校出身で大学は東海大に進みました。とてもまじめで、勉強も頑張っていました。そんな姿を見ていると、「どこに行くか」ということよりも「どこで、どれだけ頑張るか」が大事なところだと考えるようになりました。
 プロの選手として「結果主義」を否定するのはどうかとも思うのですが、中高生には「結果」以上にその「プロセス」を大事にして欲しいと思います。その積み重ねが良い大人になっていくのに大事だと考えています。
 確かに今、鹿児島のチームがなかなか全国で勝てていませんが、勝てないなら勝てないなりの理由があり、そこを克服していくプロセスが絶対にある。今までやってきたことを見直していくことも成長につながる部分があると思います。
 高校で活躍していなくても、今プロで活躍している選手は山ほどいます。優勝したチームの選手がプロでやっているかといえば、そうでもないです。結果を出すこと以上に良い人間性を作っていくことが大事だと思います。

鮫島 プロセスという意味では、今は部活動だけでなく、うちにあるユースチームのようなかたちもあって、選択肢が広がっています。自分が合っていると思うチームを自分自身の決断で選んで欲しい。先生や、両親というよりも、自分の意見、考えをしっかり持つことが大事です。最後は自分の人生なので、自分で決めることができれば、自分で納得できる道を歩んでいけるのではないでしょうか。
 鹿児島のチームが勝てないとは僕は決して思っていません。川内高校が2018年のインターハイでベスト8に進んだように、ちょっとしたきっかけさえつかめば、飛躍する選手は鹿児島にもたくさんいる。自分の決断で合っているチームをみつけて、頑張っていけばチャンスはいくらでも転がっていると思います。

鹿児島から全日本へ 鹿児島で国体制覇を


 では最後に、ご自身のこれからについて思うところを語ってください。

永吉 30歳を過ぎて、僕のプロ選手としてのキャリアもあと数年だと思います。その数年をどう使っていくかを考えています。今でも自分には伸びしろしかないと思っているので、代表にもどんどんチャレンジしていきたいです。
 つい最近知ったのですが、僕の誕生日の7月14日は「鹿児島県民の日」なのだそうです! また7月14日は、鹿児島県の平均の梅雨明けの日だそうです。そう思うと僕は鹿児島に縁ありまくりなんですよ!(笑)
 地元・鹿児島は大好きですし、年1回リフレッシュする場所でもあります。何か僕は鹿児島でもう一花咲かせることができるんじゃないかと密かに思っています(笑)。そのためにも今自分が生きていく中で成長していかないといけないと考えてます。

 ということは数年後、レブナイズがB2からB1に昇格する、あるいはした頃、永吉君が満を持して移籍してくるということでどうでしょう?(笑)

永吉 いいっすねぇ~(笑)。いろいろ考えます。鹿児島にもBのチームができて盛り上がっている。鹿児島に所属しながら代表を狙えるというところまでもっていくことができるなら、そういうオファーを受けたら真剣に話をしたいです。鹿児島で最後にバスケットをして引退したいという夢のようなストーリーを自分の中で考えています。

鮫島 永吉さんが帰って来れるようなクラブにレブナイズが成長しないといけないですね!(笑) それが鹿児島のバスケットに火をつけることにもつながると思います。
 僕の場合は来年の鹿児島国体もあります。恩師の宮迫監督と出られる大会です。3年前の茨城国体のベスト4以降中止が続いているので、ぜひ来年優勝したいです。
 国体は地域で盛り上がれる大会なので、鹿児島国体で優勝してレブナイズにつなげて、チームがB2、B1とステップアップして、永吉さんが帰ってこられたら最高の未来だと思います(笑)。

宮迫 永吉君、お久しぶりです。中学生の頃から知っていますが、選手としてだけでなく人間性も成長した姿を見て嬉しくなりました。永吉佑也、鮫島和人、2人に共通するのはまさにその部分だと私は敬意を表します。

永吉 ポジション的にも同じなので、僕にとっての憧れでした!

宮迫 インサイドで身体を張れというのは恩師である鮫島俊秀氏にずっと言われていたことでした(笑)。レッドシャークス時代、サミットなどで外国のチームと対戦するときでも、そこだけは譲れないと思ってプレーしていました。そういったところを永吉君が見ていてくれたいたのだとしたら嬉しいです。
 今、私は高校の指導者であり、鹿児島の未来の若人を育てていくという使命が僕らにはある。今の2人の話を重く受け止めています。「結果至上主義」ではなく「プロセス」を大事にする。そういうところに関わっていきながら、日本代表になるような選手を育てるという志をコーチがもたなければいけないと思いました。もっともっと勉強しないといけないと思いました。ありがとうございました!


【本対談のダイジェスト】

【つかさの射的】

 永吉、鮫島、ともに30歳という節目を迎えているほぼ同世代の2人の現役Bリーガーに、鹿児島で過ごした過去、プロとして生きている今、そしてこれからの未来を語ってもらった。2人ともそれぞれの少年時代に鹿児島でバスケットに出会い、その道のプロとして生きる道を自らの意志で選択し、永吉は日本代表を、鮫島はレブナイズの昇格を目指してプロの舞台で戦い続けている。
 2人の人間性の礎には鹿児島がある。鹿児島だからダメなのではなく、鹿児島だからこそやれる、頑張れるマインドを持っている。対談にもあったように、来年の鹿児島国体で成少年男女、全てのカテゴリーで結果を出すためのプロセスを大事にして、あわよくば全種目を制して鹿児島のバスケット界が盛り上がる。その流れをレブナイズが引き継ぎ、B1昇格にチャレンジする頃、永吉がレブナイズでプロのキャリアの集大成を迎える。そんなワクワクするような夢が実現するために、今からできるプロセスに微力ながら私も力を尽くしたい。「微力は無力ではない!」(by鮫島和人)
(文責・政純一郎)

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