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これまで

〜小学校


・片親で育ったり、強迫性障害に囚われたりしたマイノリティ意識から、人との繋がりへの飢えが芽生える

・6歳の頃に「テニスの王子様」の影響でテニスを始める センスの無さを臆病な性格でカバーし、ひたすら相手のミス待ちの単調なプレースタイルを確立する

非力ゆえにフォアハンドまで両手打ちで始め、負けず嫌いゆえに片手打ちに転向するタイミングを失って今に至る

中学校


・「団体戦」を仲間と戦うことへの憧れから、硬式テニス部のある学区外の公立中に越境入学 1人で往復2時間以上の通学を余儀なくされる

・ほぼ転校してきた状況から居場所を作るため、中学デビューして生徒会選挙に出馬 勢い余って副会長に2年連続で選ばれ、矢面に立つことは抵抗がなくなる

・運良く、引退試合では九州大会のダブルスベスト4で自己ベストを更新 しかし達成感とともに限界も突きつけられ、スポーツでの進路形成は諦める

全中を賭けた準決勝は0-6でボコされた
とはいえ5年間組んだペアとの有終の美

高校


・なんとか進学校に滑り込むも、愚直な校風に馴染めず 唯一の救いだったテニス部に行くため、帰りの会から登校して部停になったりする

眉毛をつまようじにして部停になりかけるも、
「寝てたら美容師が勝手に...(泣)」で乗り切る

・元々(志望校を逆張りしたことから消極的に)独学を貫いていたため、部活引退後はいよいよ学校に行く意味を見失い、サボるうちに本当に起きれなくなる 最終的には「あと1コマ休んだら留年」の崖っぷちまで追い込まれたが、恩師とクラスメイトに恵まれ、ギリギリ卒業式の場に立てて号泣

大学


・「外交官になりたい」「東京で暮らしてみたい」「偏差値だけに囚われたくない」3つの軸から、ICU(国際基督教大学)を選んで上京 寮生活や留学にチャレンジした結果、外交官の夢は白紙に

・その結果、学内・インカレのテニサーを兼サーしたり、テニスコーチのバイトも2つ掛け持ちしたり、後先考えずテニスに明け暮れる4年間を送る 最高の仲間と、競技人生最高の瞬間を味わう

サークル史上初の関東団体ベスト8
心が震え、鳥肌が立ち、涙が出た


・逆に高校の反動からフル単で卒業、卒論のテーマは「鹿児島県における母子家庭の実態:子どもの自己決定に着目して」 

学校に憧れたきっかけは、中2の頃の
ハモネプのICU49「Born this way」



社会人

・「地方で働く選択肢を増やしたい」「目的意識のある仲間と働きたい」「チームを大事にして働きたい」3つの軸から、ビズリーチに入社 

・1つ目の軸のせいか、同期から単独で福岡支社に配属され、営業職として働く 縁もゆかりもなかった土地で公私ともにタフな1年間を過ごす この間に鬱病も経験

・東京に戻って以来、マーケ職として未契約企業向けの広告運用〜既契約企業向けのCRMに従事して4年目 自信を失いかけた自分にも多少はバリューを出せる領域があることを知る

「価値あることを正しくやろう」の理念が大好きな会社
でも、入社して1番良かったのは同期と出会えたから


・その傍ら、DEI・社内報など組織開発系のプロジェクトも推進中 やはり自分の根源的な欲望に根ざすのは、「仲間の集まる仕組み作り(ex. 採用マーケ/企画)」ないし「仲間がヘルシーに働ける組織づくり(ex. 組織開発)」であることを腹落ちし、その方向性でキャリアを模索中←今ココ

全ての根底にあるのは、
「仲間は誰1人取りこぼしたくない」という想い




















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