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最近考えてること×10

①件の炎上を見て、「貧困は自己責任論に反駁する」っていうテーマで卒論書いてた同級生が「努力した人ほど自己責任を肯定しやすいのは論文でも主張されてるけど、実際の状況を知ることで受苦の感性を得られて人に優しくなれる」って話してたのを思い出した。正直自分も3年くらい前までは成功体験を盾に「自己責任は一種の優しさでは?」とか曰うてたのだけど、今はそれが間違っていたと自信を持って言える。自分の乗り越えた不遇なんてたかが知れていたとわかったから。

②友人からマルチに勧誘されて以来、その界隈の情緒形成が気になってる。実は炎上の件にも通じる気がしていて、生き辛さに直面する人の原体験を抽象化すると「愛に飢えた経験」「アイデンティティを脅かされた経験」「人間性を虐げられた経験」「劣等感を根付かされた経験」あたりに大別されるのかなと分析してる。ただ根本的な問題の所在はそれぞれ違うから、一筋縄ではいかない。
▼参考:若者の消費者被害過程の社会心理学的検討
https://www.caa.go.jp/future/project/project_001/pdf/project_001_171117_0002.pdf

③成長・成功・優秀といった言葉にアレルギーを感じてたのは、この意味自体が云々というよりも、その言葉を使ってもっともらしくマウントしようとする人間の欲、あるいはその背景に垣間見えるコンプレックスみたいなものをたまに感じるのがキツいからなのだと腹落ちした。たださらに最近、本質的にキツく感じてるのは欲とかコンプそのものではなく、その欲を隠そうとするムッツリな姿勢にあるんじゃないかと仮説が立っている。逆に言うと、それらが備わること自体はある意味ナチュラルで、認めた方が潔いし恥ずべきものでもないなと。

④社会人になってから、やっぱ自分の関わりたい領域は教育だなって気付いてきた部分があって。上に書いたようなことから考えても、教育はマジで大事。当然、学力とか学歴とかそういう話ではなくて。(自由意志は無いという前提を置くと、社会人人生はその人が受けた教育の消化試合とも取れる。)
ただ、よく考えると教育って必ずしも学校に関わらないとやれないわけではなくて。教育の定義を調べると、「教え育てること。 人を教えて知能をつけること。 人間に他から意図を持って働きかけ、望ましい姿に変化させ、価値を実現する活動。」とのこと。そう考えると、会社だって一種の学校。生徒が子供から大人に変わって、科目が国数英からビジネスに変わっただけで、今属している組織だって「私立ビジョナル学園」と解釈することができる。ただ、やっぱ子どもを対象にはできないのと学校の門戸を広く開けないのは越えられない壁としてあって、それをいつか越えたいと思う日が来るかどうか。

⑤いずれにせよ、どこかのタイミングで院進して自分なりの"幸せ"とか"教育"に対する価値観に向き合う時間を持ちたい。ダイレクトに進まなかったのも、それはそれでどこかで効いてくるかもしれない。少なくとも子どもを持つ前にそういった哲学はある程度深めたい。僕のような凡人が悩むことはきっと先人が一定の解を出してくれているので、そこは予め知識を得て演繹的に思考していく方が早いはず。

⑥とはいえ、当初全然興味のなかった「ビジネス」について学べてるのはよかった。たぶんビジネスは詰まるところ「課題を解決していく営み」であって、結局そのフレームは自分の人生をコツコツ改善することにも応用できるし、ビジネス以外の仕事にも然り。

⑦意外と「仕事とプライベートは切り離すべきもの」という固定観念(?)がいつしかプレッシャーとなって自分を苦しめるパターンもあると知った。それ以来、その境界を滑らかにするべく色んな策を講じてて、今は仕事が一番楽しい。あと、携わっているマーケティングも「会社のお金を使ったギャンブルゲーム」と意味付けして楽しめてる。小さい頃からゲームをしてもすぐ「実生活に役立たないからなあ」とすぐ放り出してたけど、まさに実生活に正しい価値を与えようとしてるこの会社のビジネスなら飽きづらいかなと。営業に比べるとお客様からの距離は離れてしまったけど、自分としては「仲間のために」というモチベーションの方が大きく・ムラなく出力できるということが重要な気付き。最近は、わざわざ8時間×週5かけて満たすに値する自分の欲求をかき集めてる。

⑧あらゆるトピックに自分なりの解釈や意見を持たないといけないというのも一種の強迫観念だなと思い、とりあえず東京オリンピック開催云々に関しては思考を止めてしまった。スケボーなんかイケてたな、卓球感動したな、僕はそれでいいかなと。自分の意見を持つことは目的ではなくて、良く生きるための一手段。これとは観点違うけど、会社の後輩が座右の銘としてた岡本太郎の名言「人生の目的は悟ることではありません。生きるんです。人間は動物ですから。」に衝撃を受けた。逆に、悟れないからこそ生きられるみたいなとこあるのかもしれない。

⑨「イケメン」とか「美女」と認知する感覚、それはどこまで先天的なもので、どこからは世間からインプットされてるものなのか気になってる。人間はより強い種の保存を本能にインプットされてるが故に、先天的なもの抜きにしても外見による判断からの完全な解放ってめちゃムズいよなとも思う。
▼参考:生後3カ月の赤ちゃんでも美人を見分けられる! 人間が感じる「美しさ」のナゾ
https://ddnavi.com/news/234138/a/
▼ 参考:ICUにはなぜミスコンがないのか-その歴史的な経緯
前編 - http://weeklygiants.co/?p=6971
後編 - http://weeklygiants.co/?p=7182

⑩周囲も自己も、過度にラベルを頼って多元的に捉えるのを怠ってはならないなと、心理学博士の飯村周平さんの発信見て思った。もちろん理解の入り口としてラベリング自体には価値があるけど。大いに自戒を込めて。(画像参照)

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