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本当に価値ある仕事ができているか?

即戦力採用なら、ビズリーチ
今やCMで一般的となったこのコピーは、自らの仕事の意義に対する唯一にして最大のジレンマでした。
なぜなら、キャリアが上手くいっている人に対してさらに選択肢を増やす優先度は高いのか・もっと先に照らすべき人がいるのではないかと思っていたから。
ただ、最近そこに新たな見方が得られた出来事があったので備忘的に書き残します。

先日、新卒採用の面談をしたときのことです。
その学生の方は、「価値あることを正しくやろう」を始めとする弊社のミッションには強烈に共感してくれている一方で、「正直、ビズリーチという会社の事業全般の価値提供対象が“ハイクラス“であることがネック」と仰っていました。 そして、僕もそこにジレンマを感じていたのは、そういった層に対して価値提供したいと思う原体験が無かったからです。むしろ、上手くいくサイクルに入っていればいくらでも自走できるだろうとすら思っていました。
逆に、大学時代の研究対象が母子家庭であったように弱い立場に対する関心はかなり強い方でした。

しかし、先日その問いの答えを考える中でふと閃いたというか、自分の経験と思想が繋がりました。
というのは、「必ずしも経済的に強者であることは幸福度が高いことを意味しない≒ビズリーチの事業の価値提供対象にも生きづらさを感じている・救うべき人がいる」ということです。
僕は豊かではない家庭に育ち、小中高と地元の公立に通ってから、裕福な家庭の子女が多い東京の私大に進むまで、世の中には経済的な階層があることを肌で感じてきました。しかし、その色んな階層に触れる中で、そこに依らない生きづらさをそれぞれが抱えていることも感じてきた気がします。例えば、幼い頃に親からの十分な愛を感じられず自己肯定感が低くなるケースは階層に関わらず典型的だと思います。むしろ、世帯年収が高くても両親共働きで忙しいとそこが遠心力に働く可能性すらあるかもしれません。
つまり、僕が価値提供したい対象は必ずしも経済的でなく少なくとも精神的に痛みを持つ人であって、そう考えるとビズリーチの事業も自分にとって価値があると腹落ちできました。

加えて、ビジネスの拡張に良くも悪くも経済合理性が求められるのは自明であって、(語弊を恐れず言うと)顕在化した経済的弱者にわかりやすく価値提供するようなスモールビジネスないしボランティアをコツコツやるよりも、収益性の高い事業でちゃんと稼いで会社としてもガッツリ納税してそれを公共福祉に充ててもらう方が、結局自分個人のアウトプットから社会に届けられる価値の総量も多いんじゃないか?とも思いました。(「ボランティアはお金が回らないから仕組みにならない」というありきたりな言説は好きじゃないですが...。)

もう少し自分もここを早く言語化できてれば良かったなと感じつつ、事業の意義について目を瞑らず向き合い続ける大事さみたいなものを教えてもらった機会でした。

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