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柚子と父

柚子は実をつけるまでに何年もかかる。桃栗三年柿八年柚子のボケ十八年。地方によって柚子の大馬鹿だったりと散々な言われようだ。

父が植えた柚子の木も、ご多聞にもれず長年実を結ぶことはなかった。

なかなか実をつけぬことに痺れを切らし「実をつけぬなら切ってやろうか」とプンプン怒りながら柚子に脅しをかけていた。猿蟹合戦か。

その柚子が去年から急に沢山の実をつけ始めた。切られては大変と柚子が震え上がったか。いやいやそんなわけはない。ただ樹木が成熟したのだ。

実がなったらなったで、今度は「沢山なり過ぎて、実がどんどん地面に落ちてしまう。こんなに沢山食べられない」と青筋を立てている。どちらにせよ父は怒るのだ。

一事が万事この調子の父。私はそんな父と穏やかな関係を長らく築けないでいる。父は仲良くしたいようだが、私の心の壁が高く分厚くなっており気軽には付き合えない。防御態勢になるのだ。

今思えば、父の承認欲求が強いことに気づいたのは私が中学生の頃だ。当時、この感覚はなんだろうと居心地悪くは感じてはいたものの、さして気にもせず普通に父に接していた。

しかし私も年齢を重ねるうちに「ああ、父は承認欲求が異常に強いのだ」と気がついた。父自身は恐らく気がついていない。

承認欲求が強いのは、自信がないからという通説がある。それが気の毒でもあり、会う時は優しくしてあげようと思うものの、いざ目の前にすると無理なのだ。

父の口から繰り出される言葉が一々ひかかる。そして、褒めてくれ空気がどうしても受け入れられない。さらりと流せない。幼稚園児でもあるまいしと腹が立つ。

些細なわだかまりの積み重ねで、私の心の壁はどんどんと分厚くなり、もう生身では会えない。ガチガチに警戒心の鎧で固めて臨戦態勢で臨む。

これが他人なら、適当に褒めて持ち上げられるのだが、相手が父だと出来ない。

何かで「父のように穏やかで…」「お父さん大好き」などと聞くと「一体どこの世界の話や?」となり、そのような関係性が想像しがたい。

一方で、そういった穏やかな関係に憧れている。結局、私の中の理想の父親像ではない父を受け入れられないでいる私の問題なのだ。

父の性格は変えようがない。私が受け入れ、流すしかないのだ。柚子の木の棘のようなトゲトゲした私の心を変えれば、少しは穏やかに警戒心なしに父と接することが出来るようになるのだろうか。

山積みの柚子を眺めながら考える。

さて、この柚子たちをどうするかな。


#エッセイ
#柚子

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