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ピリカ遺跡

北海道南西部の渡島おしま半島ピリカの地に、今から二万五千年~一万五千年前の旧石器時代の工房跡が見つかってます。広さは東京ドーム約四個分の20万平方メートルになるのだとか😲

今から約三万年前、寒冷期と共にシベリアに生息していたマンモスや大型哺乳類が南下を始めます。当時の北海道とサハリンは陸続きで、獲物を追いかけ移動してきた大陸の狩猟民が石器工房を作ったのかもしれません。

ピリカ遺跡では、ハンマーに使われたたと思われる石器の他に、木や骨に溝を掘り、長さ数センチの薄い石をはめ込む細石器や槍先に使う尖頭器が出土しています。細石器に取り付ける石刃は小さくて持ち運びやすく、刃が欠けても付け替えられる優れものなのだとか。

この便利グッズ的発想は、いかにも日本人っぽいですね😅

また、装身具と思われる直径1cmほどの石に2~3ミリの穴をあけたビーズや顔料に使われたと思われるマンガン鉱も出土しています。

工房があるということはそれだけの需要があったということで、北海道にいた旧石器時代の少なからぬ人がピリカ工房の石器を使ったと思われます。
(他に北海道で有名なのは、黒曜石の一大産地だった白滝遺跡)

さらに、不要な石片が一箇所にまとめられ、意図的に壊されたとみられる石器や焚火跡も見つかっています。

これは、壊れたり不要になったものに感謝するアイヌの「送り」に似た行為があったのでは、という説もありました。

ちなみに、ピリカ(美利河)とはアイヌ語のピリカ・ベツ「美しい・川」を表すそうです。北海道のピリカ地区、行ってみたいですね。

ピリカ旧石器文化館|<01>ピリカ旧石器文化館|史跡 ピリカ遺跡 (imakane.lg.jp)

春ピリカ企画に参加したついでにピリカってどんな意味と思って調べたら、そうだったのかというお話でした😊

最後までお読みいただきありがとうございます💖

参照:「氷河期の大石器工房 ピリカ遺跡」長沼孝・寺崎康史 著

アイヌの送り儀礼:何らかの役割を担ったり、遊びに行きたくなったりして人間社会に来たカムイを、また来たくなるようにもてなして、カムイの世界へ送り返すこと。カムイとは火や水、太陽や月、動植物の他、自然現象や病気、もしくは人間が作り出した道具類も含む。(いしかり市民カレッジ)


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