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伽耶院

ここは第36代孝徳天皇の勅願寺として、大化元年(645)法道仙人により兵庫県(播磨国)に開かれたお寺です。秀吉の三木城攻め、また慶長14年(1609)の失火で全山焼失。その後、諸大名の寄進で再建されます。

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それまでは大谿寺だいけいじという名前でしたが、延宝9年(1681年)後西ごさい上皇の勅でインドの聖地(ブッダ)ガヤにちなんだ伽耶院がやいんに改めたと言われています。
(法道仙人は、インドから飛鉢に乗って日本に来たという伝説がある)

後西ごさい上皇は高松宮家の親王でしたが、後光明天皇が崩御した際に次の識仁さとひと親王(後の霊元天皇)が成長するまでの中継ぎとして一代限りの天皇へ。しかし、明暦の大火や地震が続き不徳を問われ8年ほどで退位します。

退位して上皇となられた後、寺の改名前年(延宝8年)には皇子の道祐どうゆう親王が11歳で京都聖護院で仏門の道へ。改名の勅はその縁で出されたのでしょうか。勅を出された1681年は、年号が延宝から天和に変わる節目の年でもありました。

現在は聖護院門跡(京都)の本山修験宗として、スポーツ(体育)の日には近畿各地から二百人の修験者が集まるそうです。

小川沿いの参道を数百メートル進めば、仁王門を経て左手に伽耶院がやいん。本堂やご本尊の毘沙門天、多宝堂、鎮守三坂明神社など重要文化財も多数。

三坂明神社で新しいご縁をいただいたようなので、時期をみてもう一度お参りしようかなと思ってます。境内には青い紅葉が茂っていたことだし。

最後までお読みいただきありがとうございました💖
参考:伽耶院HP/後西天皇wiki調べ/道祐入道親王コトバンク

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