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「箸墓古墳」 ~卑弥呼の墓?~

「箸墓古墳」 ~卑弥呼の墓?~

 JR巻向駅から、徒歩10分のところに、「箸墓古墳」があります。

 初期ヤマト政権発祥の地と言われている「纏向遺跡」からも近い場所で、3世紀頃に造られたと言われる前方後円墳のため、年代からも、「卑弥呼」の墓ではないかという説があります。

 近隣にも「卑弥呼の里」という看板が掲げられていました。

「卑弥呼の里と書かれた纏向遺跡の看板」

◆最古の前方後円墳

 卑弥呼の墓かどうかは別にして、3世紀頃に、このような大きな前方後円墳が造られたということは、ヤマトのこの地に、巨大な政権があったことと想像されます。

 この纏向エリアには、「箸墓古墳」より前に造られたとされる古墳も多く発掘されており、古墳時代の原初は、この地からとも言われています。

 現在、宮内庁は、「箸墓古墳」は、倭迹迹日百襲姫命の御陵と比定しています。

「孝霊天皇皇女倭迹迹日百襲姫命の大市墓」

◆大物主大神と倭迹迹日百襲姫命

 箸墓古墳に関する伝承が、日本書紀に残っています。

 第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)は、大物主神の妻となりましたが、大物主神は夜にしかやって来ず昼に姿は見せませんでした。

 百襲姫が朝に姿を見たいと願うと、最初拒否されますが、大物主神は、「絶対に驚いてはいけない」という条件つきで、翌朝、小物入れをのぞくよう話しました。

 朝になって、百襲姫が小物入れをのぞくと、小さな蛇の姿がありました。驚いた百襲姫が叫んでしまったため、大物主神は恥じて御諸山(三輪山)に登ってしまいました。

 百襲姫は、これを後悔して腰を落とした際、箸が陰部を突いたため、この世を去ってしまいました。

 このことより、この墓を「箸墓」と呼ぶようになったそうです。

◆謎の神:大物主神

 この大物主神、三輪山に鎮まっておられる神ですが、古事記、日本書紀では、色んな場面で登場される謎の神様です。

 古くは、大国主命の「幸魂・奇魂」として、国造りをされたり、古事記での、苧環(おだまき)の糸の話では、活玉依姫(イクタマヨリヒメ)と恋して、二人の息子が、大神神社の初代の神主、意富多々泥古(おおたたねこ)となったり、

 玉櫛姫(タマクシヒメ)との恋の話では、その娘が、初代神武天皇のお后になったり、上記の百襲姫との恋の話であったり、第10代崇神天皇の時にお怒りになったりと、時代を超えて登場されます。

 また、神武東征の話での、敵対側のニギハヤヒと同一神ではとの話もあり、時系列に考えると、非常に整合性が難しい神ですが、それぞれの話の裏にある目的を見いだしていくと、色々想像を膨らませることができます。

 日本神話は、謎が多くて楽しいですね。

「箸墓古墳と三輪山」


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