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「延岡城」 ~「千人殺し」の高石垣~ [続日本100名城No.195]
宮崎県の延岡城を訪れました。
奈良時代・平安時代の延岡は、この地域の豪族である、土持家により支配されていましたが、豊臣秀吉が天下統一を成し遂げた1590年、秀吉の命を受けた高橋元種が延岡の地に赴任し、延岡城は高橋元種により1603年に完成しました。
その後、有馬氏、三浦氏、牧野氏と藩主が変わり、1747年に内藤家が現在の福島県いわき市より延岡へ入封し、第16代政挙まで延岡藩主を務め、明治維新を迎えるまで内藤家がこの地を治めていました。
二の丸にある、高さ22mの高石垣は、「千人殺し」と呼ばれており、ひとつの石を外すと石垣全部が崩れて、千人を殺すことができる仕掛けがあったとか。
現在は、城山公園として整備されており、天守台や曲輪跡などの遺構が残っています。
■アクセス■
・JR延岡駅から徒歩約20分
■料金■
・無料
スタンプは、二ノ丸広場管理事務所入口前にあります。
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