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「阿修羅像の興福寺」

「阿修羅像の興福寺」

 久しぶりに阿修羅像に逢いに、世界遺産の興福寺を訪れました。

◆藤原氏の氏寺

 興福寺の創建は、大化の改新(乙巳の変:645年)の頃に遡ります。

 中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足は、当時権勢を誇った蘇我氏の専制から、天皇中心の政治体制に変えようと、改新を挙行しました。天智天皇は、その功績に報いるため、鎌足に「藤原」姓を下賜し、藤原氏が誕生しました。

 その後、鎌足が病に陥った時、妻であった鏡大王(かがみのおおきみ)は、夫の平癒を祈願して、山科の私邸内に、山階寺を創建しました。これが、興福寺の先駆けです。

 672年、飛鳥から、藤原京への遷都時に、厩坂寺と名を変えて移設。そして、鎌足の子、藤原不比等が、710年の平城京遷都時に、現在の地に、興福寺と名を変えて移設しました。

 以降、藤原北家の氏寺として栄え、平安時代には僧兵を擁し、大和国を領するほどの権勢を誇りました。

 興福寺は、1998年に、ユネスコ世界文化遺産に登録されました。

◆阿修羅像

 興福寺の阿修羅像は、教科書にも載っている有名な仏教芸術ですが、その誕生は、奈良時代です。

 734年、光明皇后の発願により、母であり、不比等の妻であった橘三千代の菩提を弔うために、興福寺の境内に西金堂が創建されました。この時に、阿修羅像を含め、八部衆像や十大弟子像も制作されたものと考えられています。

 阿修羅像は、三面六臂(三つの顔と六つの腕)を持つ美少年のような姿ですが、もとは、古代インド神話に登場するアスラという異教の神に由来します。

 実物を観ると、思っていたより小さく、身長153cm、体重15kgの痩身で、特徴的な3つの顔は、幼い少年の顔(右)、思春期の顔(左)、青年の顔(正面)を表しているといわれています。

 幼い少年の顔には、反抗心、思春期には、思い詰めたような表情、そして、迷いを断ち、決意みなぎる青年期の顔と、いつまでも見入ってしまいます。

◆興福寺国宝館の情報

 阿修羅像は、興福寺境内の「国宝館」で拝観することができます。

 国宝館には、阿修羅像を含め、八部衆像や十大弟子像の他、金剛力士像、天燈鬼、龍燈鬼、千手観音菩薩、仏頭など、多くの国宝、重要文化財が展示されています。

 内装もシックで、落ち着いた照明で、展示物も見やすく、おすすめの美術館です。

 拝観料 700円(パンフレット100円別売り)

興福寺国宝館
興福寺国宝館パンフレット
興福寺ホームページより
興福寺国宝館:地図


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