「明石城」 ~明石海峡大橋を望める100名城~ [日本100名城No.58]
姫路城の帰り、明石城に寄りました。
もともと明石の地には高山右近も城主をつとめた船上城がありました。
1600年に起きた「関ケ原の戦い」後には姫路城主・池田輝政の支城となり、大坂城包囲網の一角をになっていました。
1615年の「大坂夏の陣」で豊臣氏が滅亡すると、江戸幕府は「一国一城令」を制定して船上城は破却されます。そして池田氏に代わり本多氏が姫路に入ると、時を同じくして信濃松本から小笠原忠政(後の忠真)が明石に入封します。
依然として福島正則をはじめとする豊臣恩顧の大名は健在であったため、彼ら西国大名から姫路城や尼崎城とともに京・大坂を防衛するために2代将軍・徳川秀忠は新しい城を築くよう忠政(後の忠真)に命じました。
そうして西国街道と明石海峡という水陸両方の交通の要衝に築城されたのが明石城です。
本丸跡に建つ巽櫓・坤櫓は日本に12基しか現存していない三重櫓のうちのふたつで、国の重要文化財に指定されています。
天守は残っておらず、本丸からは、明石海峡大橋を望めます。
帰りに、明石焼きを食べました。
■アクセス■
・JR明石駅から、徒歩約5分
■料金■
・無料
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