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植物に対する愛情が薄れてきた話

私は昨年の3月に仕事を辞めた。もちろん今は働いているのだが、当時私は''仕事''という枷から開放された嬉しさと、何をしていいのかわからない、途方もない「虚無感」が混濁していて情緒があまり安定していなかった。

毎日、寝て、起きて、偶にダムに散歩をしに行く。
そんな生活を送っていた。
仕事を探す間、不自由なく暮らせるように貯めていた貯金も 税金やら何やらの支払いで0の数が段々と少なくなっていくしで 「時間はあるけど金がない」という状態に陥ってしまった。

唯一していた、ダムに行くということすらも荒んでいた私にとっては (ここから飛び降りたら死ねれば、来世で富豪の家に生まれることができるだろうなあ)という死に場所探しの様なことになってしまった。
ある日の散歩の帰り、黄昏の中田んぼのあぜ道に彼岸花を咲いているのを見つけた。
恐らく、害獣避けなどで人為的に植えられているものだろうが、私はそれを引っこ抜いて庭に植えた。

実はその前からハーブ自体は育てていたのだが、この彼岸花を植えた頃から植物に対する愛情がより一層増したのかもしれない。
というのも、彼岸花自体の花言葉が

情熱・独立・再会・あきらめ・悲しい思い出・想うはあなあなた一人・また会う日を楽しみに

というもので、センチメンタルになっていた私は この畦道に咲いていた彼岸花と私自身の感情を重ねてしまったからである。

それからというもの、貧乏の癖に鉢植えやら土やら苗やらを買って、軒下に大量に置き始めた。
元から茉莉花などは置いてあったのだが、拍車をかけたかのように、さながらねずみ算のように鉢は増えた。

天気のいい日は植物を見ながら昼寝をするし、雨が降ったらうどんこ病になりやすい という理由で室内に入れたり、茉莉花の花の香りを嗅ぐのに、夜中の3時に起きたり。
当時の私は、狂気的な程に植物を愛していた。
荒んでいた私はどれだけ、心を救われたか。

しかしここ最近、植物に対してそこまで大きな感情を抱くことは無くなった。
未だに植物は好きだし、水もあげるのだが、間近で観察したり香りを大いに楽しんだりすることは無くなった。

苗を買うことも少なくなった。
当時は、秋にも沢山苗を買って 春に多様多種の花が咲くところを観察する気だったのだが…。

植物に対して、大きな感情が無くなったのは単純明快である。

私自身、安定した生活を送れるようになってきたし、精神衛生面でも成熟してきたからだ。
つまるところ、「心の弱った私にとっての宗教が植物であり、心の拠り所だった。」というわけだ。

しかし、私を支えてくれた彼(彼女)等は 確実に私に大きな影響を与えてくれたし、私をどす黒い何かや、希死念慮から守っていてくれたのである。

もし、また 心が荒んだ時は彼らに会いに行こうと思う。
今の彼らは私にとって、''植物''という概念だが
確かに心を救ってくれた恩人である。
だから来年の春に花を咲かせてくれるように、いまはただ光と水を。

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