zakki 2019/09/17

 アーケードゲームについて。

 中学生になったころ、ぼくは初めて対戦格闘ゲームというものをプレイした。いまでもシリーズが続いているギルティギアというゲームだ。ぼくは友人のすすめでこのゲームをはじめ、当初見るも無残なほどこてんぱんにやられ続けた。このゲームは従来の格闘ゲームと違ってシステムがかなり複雑であり、何も知らない初心者がただガチャガチャボタンを押しても中級以上の人間には勝てないようにできている。今にして思うとぼくは誘われた相手からゲームセンターで初心者狩りを受けていたのだが、当時はそれにも気づかずあまりにも何もできずに負けたことに怒り狂っていた。何しろ、家庭用ゲーム機でプレイするのと違って一回のプレイに百円がかかっている。ぼくは初めてプレイしたその日、憤懣やるかたない表情で帰宅してすぐさまインターネットで基本的なことの勉強を始めた。

 何度も何度もゲームセンターに通い、家庭用のソフトを購入して家でも練習した。基本的な攻撃方法を覚え、次に対戦での立ち回りを練習し、友人にも秘密で何度も知らない人と対戦を繰り返し勝ったり負けたりを繰り返す。そうしているうちにぼくは次第にゲームを理解し、やがて中級者程度の実力を手に入れることができた。友人との戦績も悪いものではなくなっていく。しかし、ぼくはそのあたりでかなりこのゲームに嫌気がさしていた。

 自分ではうまくなったつもりでいたし、その頃にも負けるたびに筐体を殴りつけてやろうかと思うほど悔しかった。新しいシリーズが出ればそれに合わせて練習もしたが、そうやって座学と実践を繰り返していくと自分が本当に楽しんでゲームをしているのかわからなくなってきた。本来楽しくやるはずのゲームの目的が勝つことに変わり、次第に意義を見失っていく。そう考えたときにぼくはなんとなくそのゲームから離れていった。高校生、大学生、社会人になっても同じようにゲームセンターで様々な対戦ゲームを続けているが、同様のことを何度も繰り返している。

 ぼくはこれと同じようにしてゲームから離れていく人間を何人も見てきた。楽しくて好きなったゲームをやる以上、誰よりも強く、うまくなりたいと思う。だが、そうしているうちにゲームを始めたころの楽しい気持ちを見失っていく。中にはひたすらそのゲームに文句を言いながらやり続けるプレイヤーもいるが、それはそのゲームに対するひとつの好意の表れだろう。

 思うに、対戦ゲームを続けていくために最も重要な才能は、それを楽しみ続けることだ。環境やゲーム自体の出来もかかわってくることだが、モチベーションの低下はゲームを続けていく上での最大の敵であることは間違いない。最近ではかつてのように全力でいれこむことは意識的に避け、ゆるく長く続けていくようにしているが、それでも今日ゲームセンターで理不尽な負け方をした瞬間に悔しくて液晶をぶん殴ってやろうかと考えてしまった。

 実際に手を出すかどうかは別として、そういう気質だからいまでも対戦ゲームを続けているのだとおもう。

 ところで最後に。


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