『君たちはどう生きるか』について

※内容について触れている※





 物語は軍国主義に染まった日本から始まり、そして主人公である眞人が訪れることとなる異界の地もまた領土問題によって逼迫した状況にある。眞人は世界をより良くすることを自らの大叔父である異界の創造主から求められるが、自らの悪性を理由に自分にその資格はないと拒否し、そして異界は心無い大王によって破壊されてしまう。

 異界の地に存在した生物は全て世界の崩壊とともに別の世界へと移動せざるを得なくなる。あらゆる世界に存在し全ての世界を幽かに接続させていた塔も崩壊してしまう。神は失われ、我々は自らの選択によって人生を決定しなければならなくなる……。

 この映画の味わいは非常に複雑で混乱しきっていた。私はこれを崩壊するギリギリのラインだと思うが、人によっては完全にプロットが崩壊していると考えるだろう。だが、その複雑かつ曖昧模糊とした世界こそ、宮崎駿自身が感じスクリーンに映し出した真実の世界なのだと感じる。
 ”秩序は芸術の夢かもしれないが、宇宙は成り行き任せで混沌としている”
 上に引用したように、この映画はフリットクラフトの挿話と同じく”支えるもの”がいつ崩壊してもおかしくない、プロットなど通用しない不確かで不条理な世界なのだ。そこで眞人は理不尽な死や無理解な大人、他者との相互理解の不可能性に触れ、それでも生きていかなければならない。

 だが、宮崎駿はそういった不条理で残酷な世界において、それに立ち向かう力強さと誠実な心を持つ少年を描き、そして孤独な彼の心を肯定しつつ成長させて見せた。眞人は頼れる大人や仲間たちと共に長い旅を辿り、数々の苦難をくぐり抜けることによって成長していく。ジュヴナイル、冒険小説、貴種流離譚。この手の物語を表す言葉はいくらでもあるだろうが、宮崎駿はその種の作品に最新の金字塔を打ち立てただろう。

 この作品はこれから少年少女たちに世界の残酷さと不条理さ、そして我々はその世界の中でどのようにでも生きていくことを選択することができることを教えてくれる。幼い日には捉えどころのない物語も成長するにつれて実感として染み入っていくだろう。
 その時に我々の手の中には異界から持ち帰った物はないかもしれない。眞人のような大冒険もないかもしれない。だが、必ず光輝く何かがあるだろう。それはきっと幼い日のことを思い出させ、己のことを振り返らせてくれる。

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