zakki 2019/09/18

 誠実さについて。

 誰もがそうであるように、年齢があがるにつれて周囲の人間関係で厭わしいことが増えていった。誰かが誰かの陰口を言っていたり、気に入らないやつを陥れるような真似をしたりする。異なった考えの人間が一緒に生活する以上避けられないことなのかもしれないが、ぼくはそこのところをうまくやることがあまり上手ではなかった。誰かの陰口を言っていてみんながそれに共感していると、そいつがいる前でそのことを笑いながら全員の前で暴露した。それで人間関係が崩壊しようと関係ない。そういう行為はただぼくのなかで誠実ではなかった。
 周囲の人間が曖昧な「普通」を共通の認識として共有していく中、ぼくはなんとなくそれを理解しつつもあえてそれと逆に行動していくことを選んだ。思えば子供のころからそうだったような気がするし、単に三つ子の魂というやつかもしれない。とにかくぼくはありとあらゆることに逆張りをしていった。いや、逆張りというのも少し語弊があって、ぼくからしてみればそうすることこそが当たり前の行為だった。

 だが、いつからか自分のそういう行動に疑問を感じ始めていた。これは本当に自分がやりたいようにしていることなのか、単なる逆張りでやっていることなのかわからなくなっている。
 誰かの悪口を言うのであれば、どうせならば目の前で言ってやろうと思う。自分が好きなひとが何か意見を表明しても、それが気にくわない、道理に合わないと思えば関係がどうなろうが自分の思うように言ってやる。そうすることがぼくの中にある誠実さのひとつだった。それはもちろん社会とか対個人に対してのものではなくて、自分自身の心に対する誠実さだ。自分に嘘をついていくことは何よりもつらい。ぼくはぼくを守るために攻撃的である必要を感じている。

 だけど時に自分が露悪的であることと誠実であることをはき違えているのではないかと思う。何か気にくわないことがあって皮肉った態度を取ったところで、それは自分自身の気が晴れることを選んでいるのであって何かが正されるわけではない。
ロジックの隙が見えた瞬間に攻撃性をあらわにして徹底的に攻め立てることは何よりも気分がいい。そこに相手からの反撃の余地はなく、こちらはただ気持ちよくなることができる。だがそれで結局何も変わらないのだとすれば、ぼくに残された選択肢はただ沈黙することしか残っていないだろう。
すべてが終わりつつある。ぼくは諦めのなかにいる。

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