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『松林図屏風』の考察①-情報量ー⑰

「DIAMOND online」のサイトで、長谷川等伯の「松林図屏風」の解釈についての記事を見つけた。以下は、その抜粋である。

※記事のURL=https://diamond.jp/articles/-/233676?page=4

《 この《松林図屏風》を「西洋のルネサンス絵画」と比較しながら見ていきたいと思います。
 比較対象となるのは、ルネサンス後期(17世紀)のイタリアで、クロード・ロランが描いた風景画です。

 自然の風景が描かれた2つの絵を見比べてみて、気がつくことはありますか?

 ロランの作品には、ローマ郊外にいまも実在する景色が描かれています。この場所にはどんな種類の木々や草が生えているのか、遠くにはなにがあるのか、太陽はどの位置にあり何時ごろなのか、どんな天気なのか、どんな地形なのか……見事に描かれたこの風景画からは、その気になればさまざまな情報を正確に読み取ることができます。

 他方、『松林図屏風』はというと、どうでしょう?

 描かれているのは松の木々だけで、画面の約半分はほとんどなにも描かれていない「空白」です。この絵は白黒なので、木々の色も、空の色もわかりません。

 そのため、この場所が山奥なのか庭園なのかもわかりませんし、晴れているのか雪が降っているのか、朝なのか夕暮れなのかをつかむための手がかりすらも、絵のなかにはまったく示されていないのです。

 もしもルネサンス画家のロランが、白黒で空白ばかりのこの屏風絵を見ようものなら、「なぜ最後まで描き込まないのだ!?」と呆れ返ったのではないでしょうか。

 このように『松林図屏風』と、ロランの風景画の違いは一目瞭然です。しかしなぜ『松林図屏風』は、このように空白ばかりで、情報量が少ないのでしょう?

 西洋に比べて、日本の絵画が遅れていたからでしょうか? いえ、そんなことはないはずです。》

そして作者は、次のように結んでいる。

《「作品とのやりとり」が成立するうえでは、その作品がどれほどの「情報量」を持っているかは関係ありません。
むしろ、『松林図屏風』のように「作品とのやりとり」を許す「空白」が残されているほうが、作者と鑑賞者がともにつくり上げる作品になりやすいという側面もあるのです。》


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