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松林図屏風に会ってきた……… -㉗

 長谷川等伯が描いた国宝の「松林図屏風」の実物をついに見た。
 中央に描かれている山は、富士山だという人がいるが、だとしたら、もっと尖った山頂にデフォルメするだろうと、思えるくらい実物は貧弱で、鈍角な山頂だ。どう見ても、私には、等伯が何度も京に登る途中で目にした白雪を頂く白山にしか見えない。右の稜線は富士を思わせるようだが、左は稜線の傾斜は、実物の白山を見た私には、白山のそれとしか思えない。しかも、金沢より北に位置する内灘の小高い丘から見た白山の山容を思い出させる。
 さらには、細い松葉を一本たりとも見逃すまいと、その強い意志のままに、何本も何本も空に向かって跳ね上げている様は、等伯の意志を強く表している。一本一本はか細く、さらには力強く空に向かって跳ね上がっている。全てを写し取ろうと、全てを描き出そうとする等伯の執念を思わせる。 
 何が彼を、そこまで駆り立てて描かせたのか、それを知りたい。何千回、何万回と空に向かって跳ね上がる細い松葉を描かせたのか。気の遠くなるような作業であろうと思われた。
 その労苦を続けさせたのは長男、久蔵を失った悲しみなのだろうか。それとも、盟友、利休を切腹で死なせた憤りなのだろうか。さらには、殺戮をほしいままに繰り返す権力者たちへの怒り、はたまた、それらに抗うことのできない、自分自身の非力さへの心の爆発なのだろうか。
 絵、そのものはシーンと静まりかえっている。しかし、絵の細部をつぶさに覗き込むと、松の葉一本一本が空に向かって吠えているように見えてくる。いや、確かに空に向かって吠えているのだ。その回数は何万回も、何十万回も。
 一見すると「霧の中の静寂」である。しかし、その奥底には、彼が抱え込んだ抑えきれない、冬の日本海の手に負えないほどにまで荒れ狂う大波の海を抱えている。その思いを、細く小さな松の葉、一本一本に込めて霧の松林を描いたのだろう。
 では、山は。白雪を抱いた山は、どうして小さく片隅に描き込まれたのだろうか。しかも、山そのものを描いてはいない。そこには稜線を浮かび上がらせる線がない。あるのは日本海側特有の鉛色の空である。
 松は、地上に現れている根を一本一本、描き出している。季節は雪のない季節である。しかし、山は白雪を頂いている。
 深い霧の松林を見ることができるのは、真夏の早朝である。富士にしても、夏は雪をいただいていない。白山にしても、夏には山頂には雪はほとんどない。
 ましてや霧深い中でたまたま山が見えたということでもないだろう。あくまでも、等伯自身が白雪の頂をその場所に置きたかった、としか思えない。ならば、どうして白雪の頂を。屏風の六曲一双の左隻の中央ではなく右上に。一双の中央と見ることはできるが、本来は左右逆であったとする説もある。その場合、一番右端に寄せられた白雪をいただく山頂には、より深い思い入れを込めて描かれたのだろうと思えて来る。
 しかし、最初から中央の位置を意識して描いたとしたならば、構図を優先して配置したのだろうと推測できる。その場合、白雪の頂の描き方は、もっと強調された描き方になる様に思える。
 実際の山は、メインテーマにするには弱すぎる。存在感が希薄。付け足しである。
 百歩譲って、左右逆に配置して、その右上の隅に配置したとしたら、それはまさに、追悼の意味をもって描かれたものと思える。その場合、二人の死に捧げるとの意味をもって描かれたと確信できる。
 もう一点。この絵は本番ではなく、下絵だということ。世に送り出そうと思って描かれたのではないという点。だから、当初は落款はなかった、と聞く。楽観は後世になって付け加えられたと聞く。
 等伯本人は、このまま、世に出そうと思って書き上げたのではない。書きはじめた当初は、自作の下絵であり習作のつもりで描きはじめたのだろう。それが書いているうちに気持ちが入り込み、ここまでになったのだろう。松の葉を一本一本。何度も何度も書き込んでいるうちにトランス状態に入り込んでしまったように思える。それくらいに、針状の松の葉が、異常なほどに多いのである。病的としか思えないのである。
 こんな風に、一つの絵からいろんな疑問を抱かさせてくれることが、「国宝の絵」たる所以なのだろう。


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