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掛軸の「古今無二路」の次の偈に、おっしょさんは涙して……

「この掛け軸は、宗匠からいただいたものです。この言葉の次の偈は、“ 達者共同道 ” と続きます。先達(私)は、常にあなたと共ににありますよ、という宗匠の、この教室の設立に当たっての励ましの御心遣いを感じました」
 正客に、お軸の来歴について聞かれた時のことです。話しながら、おっしょさんは点前座で声を詰まらせ、涙をホロリとこぼしました。映画のワンシーンを見ているようでした。
「すみません。その時のことを思うと胸が熱くなってきて……」
 茶道教室ができた時の裏話を、わずかですが聞かせていただきました。教室を始めて15年。今の教室にある茶室を開いて5年。その細腕繁盛記の核心部分を披瀝していただきました。

 それは、フランスから帰国したての頃のことだったとか。宗匠から、

「カルチャーセンターを一つ、面倒を見てくれないか、と話をいただいたのですが。でも、私にできるだろうかと悩みました」

 人は、まさに人生の岐路で悩むもの。その時に確たる人物に背中を押されると、一歩進めるというもの。また、一人で悩みに悩んで、清水の舞台から飛び降りるつもりで決断を下す人もいる。いずれの道に進むべきかを迷った時に人は悩み不安になり、足踏みもする。それでも決断を下して、この先にどんなことが起きても自分が選んだ道だと、苦難を乗り越えていく。時には、重荷に耐えかねる人もいる。

 一見、第三者の目から見ると、華やかで煌びやかで格式があって、荘厳で……、という世界に見える。しかし、人の道はやはり、それなりに困難は付き物。

 気の強いおっしょさんの、もう一つの女性としての生き様を垣間見たように思えた。勿体無くも見せていただいた、と言い直そう。

「たかが茶道」と言いたい。しかし、「されど茶道」である。ましてや、「やはり茶道」でもある。

 私は、この茶道から何を学ばせていただくのであろうか。すでに、茶道のことだけでも短いコラムを100本あまり書かせていただいた。この先何本書けるのか……。そして、コラムを書き続けたことによって、私は何を得られるのだろうか。

 そう思いながら、先日亡くなられた京セラの創設者、故人・稲盛和夫氏の言葉を思い出した。

「動機善なりや、私心なかりしか」


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