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【加藤拓川】颯爽、登場 〜安彦良和氏の漫画『乾と巽』

【安彦良和】氏といえば・・・小さいころ見た【コンバトラーV】にはじまり、
【クラッシャージョウ】の挿絵、【ガンダム】のキャラクター造形、
【アリオン】で漫画をスタート、【虹色のトロツキー】の衝撃などなど、

その画業と創作に、わたしなんぞも・・・多大な影響を受けたものだが、その最新巻『乾と巽 ザバイカル戦記』に、なんと、【加藤拓川】が、颯爽と登場してきて、おおー、と胸がおどります。

『乾と巽』第9巻、p.64

本名、恒忠(つねただ)
1859年(安政6) -1923年(大正12)
外交官、政治家。(ほかプロフィールは、画像コマにて)

『乾と巽』第9巻、p.65

号の【拓川】は、うちも近所に流れる【石手川】をもじって・・・
手へん+石で、拓川とか、洒落てるね。

さて、安彦氏の作品は、すべてを読んできたので、本作での【加藤拓川】の描かれ方は、作家の気持ちが乗ってるの、よく分かる!
要は、なかなかの男前に仕立てており、(本人が、そもそも、そうですが)

これは肖像画です

物語は、【シベリア出兵】・・・特命全権大使として、その撤退を差配する【加藤拓川】を、どんな風に描くのか、たいへん、楽しみだ。

わたし、文化・芸術の発信が多いですが、いちおう【社会福祉】welfareの職域に、ず〜っと、おりますもので、がぜん、興味をもつのは、加藤の最晩年、職業紹介所の開設、無料診療所の設置など、市民救済の社会事業に注力したところ、こんなエピソード、知りました・・・

「水平社運動のため、ちからを尽くしたかったが、かなわず死ぬのは残念だ。そこで、ゆかりある寺に、埋葬してほしい」という旨、その遺書にしたためたとおり、石手川のほとりの相向寺(浄土真宗)に、お墓がつくられた。

その遺志を知った地域住民は、生前お酒好きであった加藤(キャリアの最後は、松山市長)を偲び、その墓前で毎日のように酒宴を開き、のちの町名変更に際しては、拓川を遺徳・・・松山市【拓川町】とした。

1923年(大正12)・・・加藤死去の半年後の9月、四国水平社大会が、寿座(松山市三番町。昔、映画館あったところね)で開かれた。参加する中には、拓川の墓前に集う人もあり、そこをスタートに、石手川から立花橋、河原町、大街道を通って、寿座まで、差別撤廃を訴え、行進した、というから、

加藤拓川・・・すげえな!

さらっと紹介すると、かくの如しですが、その背景は、つまり、差別問題を、生涯最後の仕事として注力しようとしたが病いに倒れ、果たせず・・・被差別部落寺院に、骨を埋めて見守る、と。なんという不屈の精神!

最近、松山藩士の先哲たちのお墓に、たまたま、迷い込んだ。実は、拓川も、その系統にあって、オヤジは、松山藩の儒者、大原観山である。
(拓川は、加藤家を再興。大原家とは別家となり、また、加藤家の壇寺は、真宗の別の寺だけど)
(巷間よくある拓川の伝記には「寝た子を起こすな」か・・・これまで、ほとんど、この件、記述されてませんね。ただ、市の人権パンフなんかには、紹介あり)

【拓川居士骨】・・・颯爽と、そう刻まれた墓は、虐げられた民のそばにあることを望んで、今年は、没後100年

拓川が開校にかかわった松山大学も創設100年だそうですが、愛媛水平社も100年、【加藤拓川】・・・社会事業、人権、平和主義、数々の社会問題に、広く、深く、アプローチした人物なのだ。

これは、安彦氏の筆も、のるわけさ!(しかし、いつまでも、ほんと、うまいなあ)

拓川居士骨



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