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長島愛生園への旅

バイクで高速道を4時間あまり、岡山の東にある長島愛生園にやってきた。

ここは、国立ハンセン病療養所
(・・・正確には、ハンセン病の回復後、障害が残った市民たちが日常を送るところ)

この病いにかかわる人間のありようには目を背けず、探究していかねば、と(この疫病下においては、なおのこと)、併設の歴史館、当時の旧跡など、見学です。

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歴史館のファサード

「知らねば」・・・と決意したのは、神戸女学院大学で非常勤講師してたとき、ゼミの学生が、インドのハンセン病療養所でのボランティア活動を発表してくれて、そのとき、断片的、あいまいな知識で浅薄なコメントしかできず・・・
(たとえば、映画【砂の器】とか、栗本薫の小説【グイン・サーガ】でのハンセン病の描写、謝罪と改訂発行など、カルチャーばかりで、恥ずかしい)

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神谷美恵子さん。女学院で教鞭を取られていたことも、のちに知る

自分のあまりの無知に、羞恥と罪悪を感じ、基礎知識をおさえたり、北條民雄を読んだり、前職での出張途中【多磨全生園】を訪れたり、そうして、事実に、おののくことしばしば。

・・・アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮だ。

という命題(アドルノ)があるが、この列島の住人によるハンセン病への偏見と、迫害は、絶滅収容所の事実に匹敵すると思われ(現在、瀬戸内の3園が、世界遺産の登録を目指してます)、

なんというか・・・

人びとが生き、共にあることの奇跡に自覚的であるために、この場に臨み、感じ、知り、学ぶべきことの多さに、圧倒されることが必要なんだと思う。
(今回も、知ってたつもりが・・・消し飛んだ)

それは何も、福祉や、医療に携わる人に限らず、この疫病下を見るにつけ・・・

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ゼロコロナは、無癩県運動とダブる

同じような過ちを、何度もおかさぬよう、ハンセン病の経験から、反省的思考を、自分の傍らにおこうとする機会は、誰にだって、開かれてある、のだ。

そうでもないと、息苦しくてやってられない
この社会をサバイブできそうになく、
瀬戸大橋をブッ飛ばしてきた、のであったが、
(帰りは、しまなみ海道〜)

そんな国家プロジェクトよりも、隔離からの解放を象徴する橋として、長島と本土をへだてる22mの海峡にかかる小さな橋を渡るほうが、感動はデカい。

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邑久長島大橋「人間回復の橋」開通:1988年5月

★第2土曜に近くの駅(JR邑久)発着で
見学バスが出ており、これを利用するのも便利です。
 ガイドのお話しは、いっそう深い、理解をサポートしてくれます。

以下、園内点景。

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