切実な思い。

※この記事においてはわたしの切実な思いを書き残します。そしてもしかしたらこの思いは少数派かもしれない。しかしそういった全体的な流れに流されず書き残したい。そう。その思いとは。

わたしは

五輪を許せない。

です。
五輪。なんか知らず知らずのうちに五輪というものは既にありました。わたし自身はそもそも興味はなくて、ああ、4年だか5年に1回あるんだ程度の知識と意識レベル。
しかしさる2021年。東京オリンピック(五輪)、ありましたよね?
わたしはあのときのことを忘れない。
100年に1度の災い、超大規模災害と言っていいこの世界的な感染症の中でその五輪は起きた。明確には強行された。
世界中から人が集まった。
航空での水際対策、動線が分けられていると時の総理大臣が言いながら実際は動線は分けられておらず混ざっていた。
隔離待機期間も何故か五輪関係者には緩和措置が取られた。
医療リソースは五輪に裂かれた。
『緊急事態宣言』が出されながら五輪は開催されていた。人々が我慢している中バッハは銀座に勝手に散歩していた。
そのバッハは会見で日本人をチャイニーズと間違えていた。
政府上層部、五輪関係者は『誰が舵取りしているかわからない』『ここまできたらやるしかない』など言っていた。感染は爆発し死者重症者も増えた。
メディアの多くは五輪のスポンサーにつき永遠と五輪を持ち上げた。国民の多くの反対の声を封殺した。

わたしは思った。
そんなに五輪が大事か?

ひとの命と暮らしより誰かが競う姿が見たいのか?

誰かのいのち、くらしってそんなにかるい?


何故喜べるのか正直わからなかった。無神経だと思った。
人々は忘れたのだろうか?

2021年五輪。
人間は いのち<利権 を選んだ。
一部の人間が利権を選んだ。

わたしはこのときの怒りが今でも忘れられない。忘れたくない。
日本人には祭りをして忘れる文化があるらしい。
今も日本メディアは盛んに祭りを取り上げる。感染者数が過去最多となる今、でも。

わたしは五輪を許したくない。
ひとは、前に進んでも過去の痛みを忘れてはいけないと思う。

この怒りを、わたしは忘れたくない。

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