人間を直視する。
いつからだろう、わたしは人間を直視するのをやめた。
'人間が眩しすぎて見えない。''人間が醜すぎて見えない。'
そういう話ではない。
景色として、背景として人間は見えていた。でもそれらは全て上辺だった。
言うなればサービス。表面の顔。模様のようなもの。
でも人間は、人間の本質はそんな薄っぺらいものではない。
言葉に出来ない感情があって、ときに劣悪な嫉妬があって、醜い部分もあって、身を焦がすような激情があって、直視出来ないような真っ直ぐで鋭い気持ちがあって、どうしようもなく情けない感情があって、救いのない無力さがあって、何とも言えない距離感と伝わらない気持ちがあって、なんというか、人間の本質はとてもごちゃこちゃしている。ぐちゃぐちゃしていたりねちょねちょしていたり、いつも潔いわけではない。暴力的な、野生的な側面もある。
思春期のわたしは、人間のそういった部分を間近で見て、何故か心を閉ざしてしまった。
しかし心を閉ざすだけならまだしも、そんな状況下でも学校に行き受験勉強をした。余裕など微塵もなく、余裕があったとしたらそれは人を避けたがために出来た隙間だった。
人を避けて余裕が出来る。
しかしそれは単に人と人との間でしかなく、わたしが人と離れていくきっかけだった。
そうしてわたしは次に人と近づくことはなく、そうやって上辺だけ、見かけだけの付き合いで内側ではずっと埋められない溝が出来ていた。自分で作っていた。
上辺だ。
上辺でしかなかった。
上辺でしか見えないからこそそれは単に壁でありそれは単に自分とは無関係な背景であった。
だからこそわたしは本当に心許せなかった。心を許せるか?壁に。
わたしは遠ざけていた。
直視することは当然ない。壁なのだから。
そんなわたし。
引きこもりの気質満々なわたし。
わたしは学生としては不出来であった。要領も悪く、成績も良くない。
こちらも上辺だけ。"上辺だけの学業。"
"形だけの学業。"
そんなわたし。
理想と現実とのギャップに引き裂かれ頼れる友もなく、かといって上辺だけの学業も振るわない。
そんなわたしは限界を迎え流星のように地球に落下する隕石のように燃え尽き砕け散った。
そして引きこもった。
数年が経過し身体と年齢だけが大人の子供が出来上がった。浦島太郎。
当たり前だ。
人間を直視するのをやめたのだ。
人間的成長があるわけがない。
働けていないのだ。
経済的に自立できていない。そんなもの大人とは呼べない。
積み重ねた年数学びがないのだ。
上辺だけでは人生は浅いだけ。深みは生まれない。
いつまで経っても子供だ。
人間を直視しないでも居られるのが子供だ。
わたしは、自分の人生と向き合うのをある意味放棄していたのかもしれない。
そう。
自分という人間すら直視出来ない。
これでどうやって悔いなく生きられると言うのか。
…話が長すぎた。
いつものことだが、タイトルは"人間を直視出来ない"ではない。
人間を直視する。だ。
人間。
上記のようなことを自覚してから、いや。自覚するきっかけがあってからと言うべきかわたしには少しずつ変化がある。
端的に言えば人間について考えている。
自分について考えている。
相手について考えている。
少しだけ上辺より内側に。
人間を直視しようとしている。
わたしは2次元が好きだ。
唐突にすまない。
でも、わたしは2次元が好きだ。
2次元は色々と想像力を膨らませてくれる。空想が妄想が現実になる。
それが2次元だ。
よって2次元には嫁もハーレムも、勇者にも魔法使いにも英雄にもなれる。
どんな冒険譚も現実になり得る。
空想や妄想が現実になるのが2次元であり、そこでなら他者も自分も思うがままにである。ま、そういう非現実なのだが。
わたしはその無限の可能性が好きだ。
後半の書き方的にそれはまさに逃避だが、わたしはここに逃避することで理想と現実のギャップで引き裂かれそうになっても生き延びてきた。
ある意味目を逸らすことと同義だがそれでも可能性を信じて生きてきた。
逆を言えば、それらはわたしが人間を直視して来なかった歴史と=(イコール)だ。
ずっと、ずっと見て来なかった。この半生。
2次元が好きだ。2次元が好きだった。しかしそれは3次元が存在しないことにはならない。
我々はこの世界で生きているし、存在しているんだ。
それらを直視してこなかった。
生きていることを噛み締め涙を流すことは何度かあったが、それでも直視出来なかった。
そんなわたしも、もう少し内側に。
上辺のその先に。
今日実はある人からある事をカミングアウトされたんだ。
わたしはそのほうには明るくなかった。明るくないどころか、むしろ敬遠し、偏見を向けていた。
直視しなければなんでも勝手に難癖も妄想もつけられる。
だけどそれは本当に都合よく勝手に解釈するだけで、実態を持たない。妄想の類いに近い。
直視しないことは不誠実であった。
実際直視することは勇気のいることであった。
打ち明けられた今、わたしは正直その衝撃をまだ飲み込めていない。
しかし。しかしそれでも。
それでも少しだけ顔を上げて。
自分に向かってくるもの、自分の向かう先を直視して。
真実を知る事を恐れないで。
生きていることを忘れないで。