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「待つ」ということ

 ユーリー・ノルシュテインに触れた文章がほかにもあったような気がしたが、確認したらヤン・シュヴァンクマイエルだった。ひどい記憶力だ。
 でもついでにアップしておこう。
 2006年に某ウェブサイトに掲載した依頼原稿です。
 掲載ページはすでに消滅していますので、転載に、とくに問題はないと思います。たぶん。
 1冊の本を紹介するはずのコーナーでしたが、ルール無用の悪党(©タイガーマスク)的に、さまざまな本に触れています。
 鷲田清一『「待つ」ということ』(角川選書)をメインで紹介している、ということになっています。

☆☆☆☆☆

 木が好きだ。
 ぼくのふるさとは秋田県能代市、「バスケの町」としてご存じの方がいるかもしれない。地元の能代工業高校は、井上雄彦の名作マンガ「スラムダンク」(集英社)に出てくる山王工業のモデルにもなったバスケットボールの強豪校なのだ。昔は、製材業が盛んな町だった。また、海沿いには、砂防のために植林された「風の松原」と呼ばれる松林がある。その中を散策しながら、木のすがたをながめるのが好きだった。
 木は待つことを教えてくれた。雨や風、日照りや雪にさらされて、じっと季節の移り変わりに身をゆだねている。

「日々出会う樹木も少し挨拶するような気持ちでいると前回見た時からのささやかな変化がおのずとわかる。」中井久夫「樹をみつめて」(みすず書房)

 毎日あいさつする木がある。とくに大きいわけでもない、枝ぶりに特徴があるでもない、色あざやかな花が咲くこともない、ごくありふれた木だ。ある日ふと気になり、それから毎日、声をかける。そんなことを、ある女性に話したら、「私もあいさつする木がある」というのでおどろいた。台風のとき、強風に傷ついたその木が心配で、カケラを持ち帰って回復を祈ったというから、かさねておどろいた。満月の夜、公園のベンチにならんで腰かけて、缶ビールをのみながらした話だ。まぁるい月もいっしょにのみほしたみたいに、胸の奥をほんのり照らされたような、なんだかすてきな気もちになった。
 彼女はある種の芸術家で、ぼくは、彼女の創りだすものをいつも待っていた。

 「およそ芸術家であることは、計量したり数えたりしないということです。その樹液の流れを無理に追い立てることなく、春の嵐の中に悠々と立って、そのあとに夏がくるかどうかなどという危惧をいだくことのない樹木のように成熟すること。」ライナー・マリア・リルケ「若き詩人への手紙/若き女性への手紙」(新潮文庫)



 不安を抱えがちな彼女を、気の利いた言葉で励ますこともできず、ぼくはただ待っているだけだった。「見守る」とじぶんに言い聞かせて無為をごまかすうち、彼女は静かに「成熟」し、旅立った。いや、次の作品を楽しみにしていると言ったぼくは、ほんとうは「待つ」ことも「見守る」こともできずに、彼女を急き立てていただけかもしれない。
 鷲田清一の「「待つ」ということ」は、文学作品や哲学書、あるいはケアの当事者の言葉などを読み込みながら、「せっかち」で「前のめり」な時代にいて「待つ」ことの意味を問いかける。本書の最終章は「開け」と題されている。じぶんで思い描いた未来を引き寄せるのではなく、他者や偶然に向かって開かれた「待つ」ということ。それは、誰かの訪れを待つともなく待っている木蔭のような場所を用意することに似ている。

 大江健三郎は、祖母から聞いたふるさとの四国の森に伝わる話を「「自分の木」の下で」(朝日文庫)に記す。人間の魂は森の木から生まれる。それぞれが生まれた「自分の木」の下では、子どもは年老いたじぶんに、老人は幼いころのじぶんに出会い、話ができるという言い伝えだ。あの満月の晩、「ぼくの木」と「彼女の木」とが、地中深くの暗い場所で根と根をそっとふれあわせた気がした。出会う前の子どものころの二人、もう会うことはないかもしれない将来の二人が、それぞれの木を介して対面した気がした。片思いゆえの行きすぎた妄想だけど。


 二人にとって特権的な固有名がある。それはたとえば、ラーメンズ、奈良美智、ヤン・シュヴァンクマイエル、植田正治。かわした言葉やともに見つめた作品の思い出は、心の中に、一本の木のように立っていて、ぼくを支える。その木の下には、さまざまなものを迎え入れようと待っている場所がある。

 「野の中にすがた豊けき一樹あり風も月日も枝に抱きて」(齋藤史)

 「「待つ」ということ」の表紙の写真は、植田正治の作品だ。彼女は今も、植田正治の写真を好きでいるだろうか? 「吹き抜ける風」(求龍堂)という植田正治の写真集が昨年出版されたけど、彼女は見ただろうか? またいつか、そんな作品の話に花を咲かせる日がくるのを待っている。心の中の木にも、あいさつしながら。


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