世代交代

世代交代

日本は少子高齢化が進んでいる、らしい。

大阪にいた時も、東京にいた時も、千葉にいた時も、それをあんまり体感として感じることはなかった。でも今高知に住んでみて、それを体感的に強く感じる。

幼少期から大自然の中で育っているこちらの高齢の方達はめちゃくちゃパワフルで、働き者で、実年齢よりも若いんですけど、それでもやっぱりいつまでも若者と同じようにとはいかない。

集落も高齢化が進んでいる場所が多く、集落の伝統的な文化を継ぐ人がいなかったり、課題がたくさんあるように見える。

そもそも、ある単位の土地において(例えば集落)どのように世代交代が行われていたんだろう。そしてどんな形で世代交代が行われていくのが健康なんだろう。

ちょっと考えてみよう

①親と一緒に住むパターン

2世帯住宅的に親と一緒に実家に住んで、親が亡くなったらそこに住んでいた子供が跡を継ぐ、みたいなことだったんだろうか。

25歳で子供を産むとして、1世代目が80歳、2世代目が55歳、3世代目が30歳、4世代目が5歳、の4世代で一緒に住む?流石に4世代はかなり大変そう。笑

でも高齢者にできないことが子の世代ができるから、一件あたりのリソースは多くて支えあえるような気もする。

昔はそんなに寿命が長くなかったから、3世代とかの感じで成り立ってたんだろうか。

②世代ごとに家を建てるパターン

これが割と現代では一般的?

子供が独り立ちしたあとからは夫婦だけで暮らす。50歳~80歳くらいまで?

介護が必要になったら施設へ。

使われなくなった家は売却され、別の血縁の新しい世代がその土地を購入する。もしくは、3世代目(孫)が譲り受け、その土地にUターンしてくる。

自分の周りで考えると、完全に②な気がする。ひいおばあちゃんも、おじいちゃんおばあちゃんも、おかんおとんも、それぞれ自分の家を持ってる。

でも、「そこに住む人がいなくならないと代謝が起きない」っていうのは文化の継承という意味では微妙な気がする。いや、そんなこともないか。集落全体で世代のバランスが取れていればいい気がする。うん。

この集落全体で世代のバランスをとるっていうのが難しいんだなきっと。土地の面積は決まっていて、そこに一つの世代だけで埋まってしまうと「集落の平均年齢が80歳。でも土地は空いてないので新しい世代は入ってこれません。」みたいになっちゃう。

持っていた土地を誰に売るかまでコントロールできるデザインがあればいいのかな。

それともう一つの課題が土地の継承のなめらかさ。①のパターンだとそれはすんなりいくと思うんだけど、血縁を超えていくときにいくつかハードルがある気がする。「住むつもりはないけど、先祖代々続いてきた思い入れのある土地を自分の代で手放したくない」とか「相続権が何人にも別れていて意思決定できずそのまま」とか「住んでいた人の負の遺産化した建物やゴミが凄すぎて買い手がいない」とか。

でも、血縁のない人の暮らしのお手伝いをしていて、その人の土地を譲り受けたって話もある。そういう血縁を超えたなめらかな世代交代ってすごく素敵。その有機的な世代交代がうまく起きるデザインって、工夫されている事例があったりするんだろうか〜。

血縁があるけどその地に住むつもりがない子供よりも、血縁がなくてもその地に暮らしていく意図を持っていて、関係性もある他人に受け継がれていく方が健康な感じがするなぁ。

それとここまで考えながら思ったのは、「モノは次世代のギフトにはなりづらい」ということ。

どんなに大きな家を建てて、当時最高級の家電を揃えていたとしても、それらは毎秒劣化していく。次世代に渡るときには「処分に困る古いモノ」になっているものがほとんどだったりするんじゃないだろうか。結局、捨てたり壊したりするのにコストがかかる、負の遺産となってしまう。

でも逆に、自然は大きなギフトになる。

野菜が元気に育つ豊かな土壌や、多様性のある植生、何年もかけて育った果樹や庭に生え揃った多年草のハーブなど、暮らしやすいようにデザインされた生態系は、何事にも変えられない次世代へのギフトになる。

汗や涙を流し、身体を洗い、排泄をしてきたその土地には、前の世代の想いと遺伝子が含まれている。

その土地から、トマトやブルーベリーができて、それを次世代の人たちが食べる。

暮らしの生態系を創っていくことは、まだ見ぬ次世代の子どもたちへの大きなギフトであり、彼らと共に生きていく、ということでもあるんだなぁ。

そんな素敵なギフトをつないでいける存在になりたい。

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