食べること


おはよう。早くおきると、別に何か運動してるでもなくお腹がすく〜。

でもこのお腹が空いた、ってどういう状況なんだろう

お腹がなる=お腹が空いた=何か食べなきゃ

って意識がつい動くけど、これは文化的にそう教わってきたからそうなのか、本当に身体が食べ物を必要としているからそう感じるのか。

現代人は食べ過ぎだってことはいろんなところで言われていて、最近は「16時間断食しよう」とかも言われてきてます。でも中高生の頃は「飯はいっぱい食えー」って言われて育ったのを思い出した。サッカー部の合宿でアホみたいに多い量のご飯を食べさせられてたっけ。おばあちゃんも、ご飯をいっぱい食べると喜んでくれた。

江戸時代の飛脚の話で、こんな話があります。飛脚の走る能力があまりにもすごい(490kmを3,4日で走っていた)ので西洋の学者が興味を持って飛脚のことを調べ始めました。当時の飛脚が食べていたのは玄米、梅干、味噌、たくあんという粗食。学者は「栄養学的にもっと肉を食わせたらもっとパフォーマンスが上がるのでは」と食生活を西洋風の肉料理に変えさせた。すると3日で逆に走れなくなり「元の食事に戻してくれ」と懇願されたそう。

自分の身体を観察していても、やっぱりご飯を食べ過ぎると体は重くなる。食べる行為はドーパミン(快楽物質)が出るからついつい食べちゃうってことはよくあるんだけど、食べ過ぎると苦しいし、疲れるし、眠くなる。つまり消化するためにエネルギーが必要になる。

活動するエネルギーを蓄えるために食べているはずが、その消化のためにたくさんエネルギーを使ってしまっているんですね。活動するための食事ではなく、娯楽としての食事です。いや、いいんですよ、娯楽としての食事も。収穫した野菜を美味しく料理するって、本当に美しいアートだと思います。大好きです。

でも、そこに意図を持てているのかは重要なんじゃないか、と思うんです。

さもないと日常的にいつもの習慣で食べすぎちゃって、パフォーマンスは悪くなるし、お金はかかるし、身体には負担がかかって病気のもと。→食事代、病院代を稼ぐために働く。→ストレスを食べることで発散

みたいな沼に無自覚に落ちていっちゃう気がする。だから普段から意図的に「アートとして、楽しみとして食事を楽しむ」なのか、「創造的に活動するエネルギーを蓄えるために食べる」なのかをしっかり握っていたいと思っています。

難しいけどね。これまでずっと補強し続けていた神経回路を繋ぎ変える、根気のいることではある。

でも、身体を変えることで食生活が変わる。食生活が変わると必要な収穫量が変わる。そうすると農の在り方、暮らしのあり方も変わる。そしてこれら全てと意識は相互に関わり合っている。

いろんなアプローチで、世界における自分の在り方を変えていくことを実験中の日々。

感想を聞かせてくれるのが一番のサポートです◎