共有のすヽめ
最近、"モノ"よりも"経験"とか"感動"みたいな、本質的に人生を豊かにしてくれるものに価値が移り変わってますよね。
まぁ、モノを買うのもその先の価値を求めているわけで。価値さえ手に入れば、その手段であるモノを所有しなくても良いよねっていう価値観になってきたのかな。
望む穴さえ手に入れば誰のどんなドリルでも別に良い
みたいな。
所有に対する執着が薄れてきたのかな。
あるいは、シェアした方が安く済むからシェアしているのか。
資本主義が進みすぎて、みんながお金ない状態によって生まれた価値観の変化かもしれない。
資本主義はこんなことになっている
着るものがあって、寝る場所に屋根があって、冷蔵庫があって、ベッドがあれば、あなたは世界中の83%の人よりも経済的に裕福らしい。
おそらく、ほとんどTOP17%に入っている日本人ですらみんな「お金無い」って言ってるよね。う〜ん。なんだかなぁ。
2017年の調べでは、世界の富の82%を1%の人が持っているらしい。このシステム、貧富の差が広まりすぎて機能しなくなりそうだよね。
まぁ、結果的にシェアできるものはどんどんシェアする流れになってるのは良いことだと思ってます。
所有欲煽って消費させて、壊れやすいとか、消費しやすいモノのデザインにして、とにかく消費させる経済合理性のみを優先した社会から少しずつ変わろうとしている。
都会のアパートとか、すごいですよね。
1人の人間の為にお風呂とキッチンとテレビと洗濯機と冷蔵庫とベッドがあって、そんな部屋が敷き詰められてる。
それらが実際に稼働してる時間は数時間だけ。
集合として見たときに、超コスパ悪いことしてないですか?これ。
僕はとっても変だと思います。
「いかに消費させられるか?」を考えていくと、一人当たりの消費量が増えるようにこういうデザインになったんだろうなぁ。
戦後のアメリカが、経済的に豊かな状況を作り続ける為に、「消費が全てだ」っていう価値観をつくったのがはじまりらしい。
それまではアメリカでも消費が美徳って考え方だったみたい。意外!
共有してることに気づこう
「共有のすヽめ」とかいうタイトルをつけてみたけれど、僕らは既に共有しています。
「え?」と思う人もいるかもしれませんが、「冷静に考えれば、確かにそうだよなぁ」と僕が思ったことを伝えます。
僕らはこの地球にいて、全てのものを全ての生命と分かち合っています。
毎日触っているスマホも、コンビニのパンも、外を走っている自動車も、全部地球の一部を加工してできているんです。無からできてるものなんて一つもないんです。
何もないところから食べ物は決してできなくて、全ては自然からのgiftなんです。
大自然の与え合いの関係性の上に、僕らは「社会」というものを乗っけて生きています。
自然から分断して、人間だけで生きていける世界を作れると思い込んでいるかもしれないけれど、あくまでも僕らは「自然の生態系」の上に「社会」を乗せて、その上に「資本主義」を乗せて、その上で生きている。
この世界を惑星的な視点から見たとき、僕らは身の回りの全てのものとつながり合っていて、全てのものをみんなとシェアしている。
生態系は三角形のヒエラルキーで表現されることが多いけれど、実際はもっと複雑に関係し合ってて循環している、蜘蛛の巣のような形だと僕は思っていて。
地球をシェアしているみんなと、お互いがハッピーになれるような方向に僕は向かいたい。
日頃の意思決定を惑星視点で考えられたら、変えられることは沢山あると思います。
消費者は、実は社会を変える力を持っています。
消費者の選択によって市場が形成され、その市場に合わせて企業が変化し、社会が変化していく。
ボトムアップ的に社会を変えられるんです。
レジ袋、割り箸、地球の資源を大量に消費して大量生産している安価な製品、循環の輪から外れるゴミを生み出すもの
僕が強くオススメするのは
消費という意思決定を、惑星的視点で、背景まで考えること。
その上でどんな選択をするかは本当に自由で、良い・悪いがあるわけではありません。
ただ、分断されて背景が見えにくくなっているからこそ、「モノの背景を考える」ことを僕はおすすめします。
▼モノの背景について、オススメの動画▼
https://www.youtube.com/watch?v=9GorqroigqM
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