自分に関係ないことだったらそりゃいくらでも許せるだろう

世間を騒がせたauの障害騒動。
自分はauじゃないので、クーラーきいた部屋でスマホゲーポチポチしながら呑気に見ていられるが、当事者は大変だ。

で、こういうときに出てくるのがクレーム問題である。
クレーム入れるやつはカス!みたいな短絡的な物言いが大流行するのがツイッターなどのインターネットなのである。

言うまでもないが、あまりにも長時間のクレームだとか、脅迫的、暴言的なものだとか、そういうのは状況に関わらず問題である。別にこういう大きい騒動のときじゃなくったってそうだ。

しかし、そうでない状況というのも当然存在する。
「問い合わせを受ける側に落ち度があるのかどうか」
今回はどうなんだ?

ユーザー側がどの程度の被害を受けるのかも人によって異なる。
他人がそれによってどれだけ困っているのか?を知りもしないで、お前のクレームは妥当ではないと断ずることはできない。

自分はスマホ依存してないからw
困ってないからw
通信手段を冗長化してるからw
auじゃないからw

自分が困ってなかったらそりゃなんでも許せるわ、そんなもん。
自分に大して影響がなかったから許せてるだけって思わないのかね?

販売店に電話しても解決しないのは3秒考えれば分かるだろみたいなことを言ってるドヤ顔バカもいたが、そんなわけないことを3時間ぐらい考えてみたほうがいい。3秒しかものを考えない短絡的なバカだからそういう結論になる。

例えば、田舎で一人暮らししているおばあちゃんがいる。息子娘はみんな東京に出ていってしまった。子供に持たされたauの携帯、これだけが通信手段になっていた。
さあ、電話がつながらなくなった。どうしよう?
auの販売店に行って、どうなってるんでしょうかと確認する。こうなるよね?だから販売店に人が集まる。
誰もが四六時中ネットに張り付いてワーワー言いながら生活しているわけではない。
こういうこともありえる、そういう想像力が全くない。バカなインターネットユーザー。

まあここでも散々言っていることだが、派手で有名な人だけじゃなく、社会基盤を維持している無名の人々の地味な仕事。これらはとても重要なものだし、その地味な仕事も本当に価値のあるものだ。

しかしそれはどんな状況でも感謝感謝と言わなければいけないなんてことは意味しない。前の記事でも言ったトイレの清掃員。もしマトモに掃除しなかったら?掃除しに来なかったら?それは「おいおいちょっと待て」となるだろう。それが対等な人間関係なのだ。

仕事をしている人たちを軽んじるのもおかしいし、仕事を依頼している側を軽んじるのもおかしいのである。それが人間関係なのである。

もしこの件でauにクレームが1件も入ってなかったら、復旧するのは1週間後になり、ホームページで謝罪メッセージ1通出して、再発防止なんて考えもしない、それで何もなかったことになるだろう。
企業ってのはそういうもんである。

適切な批判は行われるべきであり、別にそれは労働者イジメを直接的には意味しない。クレームを受けること自体は通常業務の一環である。
過剰なクレーマーと呼ばれることを恐れるあまり、過剰でないものまで全て抑え込もうと考えるのがインターネットになっている。
その末路が商売人様がこうだと言ったらこうなんだ!みたいな盲目的バカなのだろう。

繰り返し言うが、度が過ぎたクレームはもちろんダメである。しかしそれをネットで言ったところで通じるわけもない。つまりカッコつけなのである。
そのカッコつけの一環で、「ものわかりがよく寛容なワタシ」をアピールするために何があってもありがとうありがとうと「ネット上で」言うのである。本当にインターネットはくだらない。


さて、まあクレーム入れるほどではないけどはらわた煮えくりかえってるよ、ぐらいの人は普通にたくさんいるだろう。
そういうときは、相手にキレるのではなく静かに解約。これに徹するのが一番だと思っている。
いつまでもキレたりイライラする時間を、「まあ解約するしもういいか」で切って捨てるのだ。
文句を言いながらでも金を払い続けるしかないよな…という場面、実際のところはそこまで多くない。もちろんものによるけども。
「乗り換えを検討する時間」として有意義に活かすのが効率が良いだろう。