80冊読書!3冊目マキアヴェッリ語録(2)

マキアヴェッリ語録、第2弾スタート!

第二部 国家篇の中で、「政略論」に記載のあるローマの共和制の話のところは急にメモが少なくなってしまった。君主制は現代の我々にも分かりやすいが、共和制のイメージが湧いていないからだろう。

時代の流れを察知し、それに合うように脱皮できる能力を持つ人間は、きわめてまれな存在であるのも事実だ。その理由は2つ。
①人は、生来の性格に逆らうようなことは、なかなかできない。
②それまでずっとあるやり方で上手くいってきた人に、違うやり方がこれから適策だと納得させるのは至難の業。
時代はどんどん移り変わるのに、人間のやり方は以前と同じという結果になる。
人間は敬愛か恐怖に突き動かされて行動する。だからどちらであっても同様の効果が得られる。器量が大きい人はどちらでもいいが、器量が並の人は注意が必要である。敬愛路線では部下の軽蔑を招く可能性があるし、恐怖路線では部下の憎悪を招く可能性があるからである。人心の把握という最大困難事は並外れた器量の持ち主にしてはじめて可能なことかもしれない。
君主が民衆の憎しみを買う理由は2つ
①民衆の大切なものを奪うこと。自分が大切にしていたものを奪われた恨みは絶対に忘れない。
②君主の尊大で横柄な態度。抑圧された民よりも自由な民になされた場合は非常に有害な結果となる。
大衆は常に、政治を行う者を模倣する。
歴史の与える教訓は誰にとっても有益なものだが、特に国家を治める人々にとっては有益である。
歴史は指導者にとっての師匠である。人間社会は相も変わらず同じことを考え、同じことを望む人間がすんできた。社会構造が変わっても、誰かが支配し、誰かが支配され、あるものは喜んで支配され、他の者は不満たらたらで支配されるということならば、なにひとつ変化はなかったのである。
国家というものは権力者階級と民衆で成り立っている。自由を守る役割をどちらに持たせるか?歴史から見ると、権力者階級に持たせたほうが、自由が長く守られる。
宗教でも国家でも長く維持したいと思えば、しばしば本来の姿に回帰することが必要である。そのためには改革が求められる。
共和制の国家に対して他国が攻略をしかけてくる原因は2つある。
①征服して支配者になりたいという欲望
②征服されて支配下におかれるかもしれないという不安
この2つの原因を取り除くことで国家存続の保証はかなりカバーされる。
健全な国家とは、優れた指導者の死後も、誰が後を受け継ごうと、その路線を継承できる体制をつくりあげた国家である。
為政者であろうと指導者と呼ばれようと、支配者の存在しない社会は、あったためしはない。だから権力を濫用しようにもできないような制度を整えておく必要がある。
人は大局の判断を迫られた場合は誤りを犯しやすいが、個々のこととなると、意外と正確な判断をくだすものである。民衆もマクロな視野が必要な判断力では頼りにできないが、ミクロなことならば多くの場合正確な判断をくだせる。
民衆は、群れをなせば大胆な行為に出るが、個人となれば臆病である。
弱体な共和国にあらわれる最も悪い傾向は、なにごとにつけても優柔不断ということである。この種の国家の打ち出す政策は、なにかの圧力に屈したあげく、やむをえずなされたものになる。
真の防衛力とはハードな面での軍事力だけではない。軍の評判というのも、軍事力に数えられるべきである。


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