80冊読書!1冊目サピエンス全史(上)

80冊読書を始める理由

人生には生きる目標が必要だ。それが活力となり、前に進む力となる。その活力を満たすもののひとつに知的好奇心がある。子供のころ、自分の興味のあるものをとことん調べてみたり、また、起業したときは知らないことばかりで、さまざまな書籍を読みまくったものだ。

しかし40代半ばを過ぎると、自覚できる老化現象がやってくる。それが「老眼」である。この老眼は知的好奇心には大敵だ。なにせ本を読むことがおっくうになる。ところが、今やテクノロジーの進化がこのことを克服してくれるようになった。それがkindleだ。老眼では通常の本は読みづらいが、kindleでフォントを大きくすれば、快適な読書ライフを楽しむことができる。

この度、50歳を手前に残りの1年4ヶ月で80冊の本を読み、noteの記事を80個書き上げるという目標を立ててみた。どのようにnoteを書くか?はまだ決まっていない。目的は「知的好奇心を満たすために読書をすること」である。だからあまりアウトプットの質は重要視しないほうがいいと思っている。

この80冊はバラバラのものを読むわけではない。起業して20年経ち、組織を見ていると、「人間ってそうだよな~」と思う光景によく出くわすことがある。自分自身の思考も全くもって「人間」という動物の遺伝子に支配されていることを感じることがある。

人類は生誕からここまで生き延びるためにあらゆる手法を使ってきた。そしてそれが私たちの思考のもとになっている。ここまで50年生きてきて、「人類としての私」は一体、人類の何を知ったのか?また分かっていないのか?これは私の知的好奇心を掻き立てるとても大きなテーマである。

今回の80冊は全て「人類史、世界史、哲学」に関するものにしようと思う。

このnoteは読書感想文ではなく、読んでみて思い起こした身の回りに起きることや、頭の中で考えてみたことをアウトプットする場としたい。そのため、本の全体内容は全く網羅しないであろうし、またそもそも本の内容に触れないこともたくさんあるだろう。80個書き終えたときに、何が残るのか?楽しみにして進んでいきたい。

さて初回の書籍は「サピエンス全史(上)」である。実はこの本こそが、今回の目標を私に立てさせた張本人である。人類をこんなに面白い目線で眺めることができる著者を心の底から尊敬する。そしてこの本を書いてくれたことに感謝をしたい。


第1章 唯一生き延びた人類種

人類の脳は他の動物に比べて圧倒的に大きい。それは二足歩行によって実現したものである。二足歩行はそのほかにも腕が自由になったり、遠くを見渡せたり手先が器用になり、複雑な作業ができるなど人類がここまで進化することに大きく貢献してきた。

一方で二足歩行の欠点もある。腰痛と肩こりだ。確かに会社の中を見渡しても、本当に多くのメンバーが腰痛や肩こりを抱えている。タイムリーな話だが、創業メンバーの一人(私と同じ48歳)がヘルニアにより2ヶ月の安静で在宅勤務となった。彼は人類が二足歩行によって獲得してきた進化の代償を払っているということか。このくらい大きな視点でヘルニアと向き合うと、少しはヘルニアの苦痛を受け入れられるようになるのだろうか?

またこの二足歩行では腰回りを細める必要があったので、女性の産道は狭くなり、出産での命の危険が高まった。そのため人類は未熟な子供を産むことになった。子馬が生まれてすぐ走れるが、人間の子供は何もできない。このことは人類の社会的能力と独特な社会的問題の両方をもたらす要因になった。人間が子供を育てるには、仲間が力を合わせなければならない。進化は強い社会的絆を結べる者を優遇した。

私の会社は若い人が多いので、結婚・出産の話は身の回りに数多くある。女性の多い職場でもあるので、産休・育休・復帰(子育てしながら)という事例も多い。男性も育休取得をするメンバーもようやく出てきた。私には子供がいないため、自身の経験として語ることができないが、もし人類が力を合わせて子育てをするというのであれば、現代社会の子育てはどうも「親任せ」であることが多いように思う。

テクノロジーの進化にともない、「便利」なものはとても多くなった。特に仕事においては。ただ「子育て」はテクノロジーの進化や生産性の概念とはかけ離れているように思う。そもそもそういうものではないのだろう。だから現代においても、最も手のかかる「仕事」である。にも関わらず、親任せというのはどういうことなのだろうか?仲間が力を合わせなければ人類は子育てをすることができないという原点に立ち戻るならば、やはり現状の社会の仕組みでは対応できないところに来ているのではないだろうか?数十年前までは地域コミュニティーが成り立っていたので、近所の人が子供の面倒を見てくれていた。しかし今ではそんな地域はほとんどなくなっているのではないだろうか?だとすると、親の負担はどんどん大きくなる。これでは少子化は止められない。社会の変化は人類の子育てというものを脅かすところまで来ている可能性はある。


第2章 虚構が協力を可能にした

ホモ・サピエンスがネアンデルタール人やホモ・デニソワを駆逐して唯一の人類種となったのは「認知革命」によるところが大きい。虚構=架空の事物について語る能力は唯一サピエンスの能力である。この虚構のおかげで集団で何かをすることができるようになった。
数十人の集団でも1対1で情報をやりとりするならば、その量は莫大になる。50人の集団では1対1の組み合わせは1225通りある。集団を動かそうとするとこの1対1でない状態を作り出さなければならない。

近年組織論で「ティール組織」が語られることが多いが、私はこれにとても懐疑的である。何も考えずにティール組織にもっていこうとすると、情報のやりとりが無数に増えてしまい、あっという間に組織は崩壊してしまうだろう。会社においてもリーダーが明確に機能していないチームでは、メンバー間でもっている情報がまちまちだったり、または間違った情報をやりとりしてしまうことも見受けられる。流行に乗って、サピエンスとはどんな動物かを理解しない人は簡単に間違った組織をつくってしまうのだろう。

ちなみに噂話でまとまっている集団の自然な限界は150人らしい。会社もそこまでは自然に維持できる。秩序を保つための正式な位、肩書、法律書は必要ない。今の会社はちょうどその規模感である。かなり秩序を含めて構築をしてきているが、自然に維持できる限界であることはすごく感じる。

この規模を超えていくには共通の「神話」がいるという。どれだけメンバーがその神話を信じられるか?見知らぬ人が協力をしてロケットを作ることができる・・・これがサピエンスのすごさ。このすごさを実現できるか?を経営者は問われている。

それにしても会社も国家も虚構だと看破する筆者は痛快である。


第3章 狩猟採集民の豊かな暮らし

この章は人権問題に関わる、やや危険な香りのする話である。

人類全体としては個人のレベルでは狩猟採取民の時代のほうが優れていた。なぜなら狩猟採取の生活では生き延びるために「誰もが優れている」必要があったからである。しかし農業や工業が始まると、人は生き延びるために他者の技能に頼れるようになった。凡庸な人も水の運搬人や製造ラインの労働者として働いて、生き延び、凡庸な遺伝子を次の世代に伝えることができた。

現代を見渡すとどうだろうか?「個の時代」「パラレルワーク」などの言葉が流行し、個人が力をつけて会社から独立して働くことこそ目指すべきところ!という風潮もある。これに対して多くの人はどう感じているのだろうか?「自分には自信がない」と思う人も多いだろう。それは当たり前のことなのではないか?人類は農耕社会を築いたときから「普通の人」が生きていける社会の仕組みを構築してきたのである。そうだとするならば、一部の目立つ「優秀な」人の話だけに騙されてはいけないと感じる。

今の働き方の風潮は誰もが目指さなければならないものではない。いや、逆にほとんどの人は関係ない可能性が高いのである。自分がサピエンスであると自覚するのであれば、足元をしっかり見つめ、単なる流行に乗せられないようにしなければならない。会社とはさまざまなタイプの人を集め(必ずしも「優秀」である必要はない)、共同作業をして成果をあげていく。それは理に適っているのではないだろうか。


第4章 史上最も危険な種

勉強の章

第5章 農耕がもたらした繁栄と悲劇

農業革命は史上最大の詐欺

なんともすごい表現であるが、この視点はたまらなく面白い。進化の視点は生存と繁殖という基準ですべてが判断される。個体の苦難や幸福はいっさい考慮に入らない。。。

確かにアリは個の幸せを追ったりしない。犬は個の幸せを追っていそうだが、でも結局本能的にそうであるようにも見える。そもそも生物とは生まれたときからそうで、常に「種の繁栄」が優先されてきたのだろう。サピエンスとて、つい最近まで同じだったように見える。国家のために個人が犠牲になることなど、数十年前まで当たり前だったわけなので。

しかしその人類は今「個の幸せ」を追求しようとしている。「個の幸せ」と「種の繁栄」が共存できるのか?「個の幸せ」を追求すると「種の繁栄」は損なわれるのか?なかなか面白いテーマである。会社組織という視点でも生物的な「種の繁栄と個の幸せ」が「企業の繁栄とメンバーの幸せ」に置き換えることができると感じる。会社をやっていて、個人が犠牲になってでも会社を発展させるぞ!なんて絶対に言えない。もちろんそうしたいとも思わない。会社がメンバーの幸せと企業全体としての繁栄を両立できるのであれば、そのものすごく先には人類の「個の幸せ」と「種の繁栄」の両立が待っているのだろうか?そう考えると現代の企業経営はいいチャレンジができる場でもあると感じる。


第6章 神話による社会の拡大

自給自足の狩猟採取社会では長期的計画にはおのずと限界があった。しかしそのおかげで多くの心配ごとをまぬがれた。自分にはどうしようもないことを悩んでもしかたがなかったからである。一方農業革命で農耕民は未来を念頭に置き、未来のために働く必要があった。何か月にも及ぶ工作に短期の収穫繁忙期。農耕の不確実性、干ばつや洪水、疫病などのため、たくわえが必要になる。そのため自分が消費する以上のものを生産する。農耕がはじまったときから未来に対する不安は人間の心という舞台の常連となった。

「不安」・・・今発生している「新型コロナウイルスパニック」は不安から来ている。実際に自分が罹患しているわけでもないのに、「未来にそうなるかも」という不安である。会社でメンバーの相談を受けるとき、「先が見えない」ことへの不安の相談が数多くある。老後の心配をして不安になる日本人。まさにこの典型的な例と言えるだろう。

筆者は「不安」のことばかり書いているが、逆に「希望」という観点ではどうなのだろう?未来に対する不安は確かに他の動物は抱かないかもしれない。一方で未来に対する「希望」も抱くことはないのではないか?サピエンスが不安と同時に未来に対する「希望」を持てる動物であるというのであれば、希望を抱けるように組織運営をする必要があるだろう。今の会社の状態は不安が蔓延しているのか?希望に満ち溢れているのか?もっと言えば、組織全体に広がる不安はどこからくるのか?また未来への希望はどこからくるのか?しっかり見ていく必要がある。


第7章 書記体系の発明

勉強の章


第8章 想像上のヒエラルキーと差別

複雑な人間社会には想像上のヒエラルキーと差別が存在する。差別ときっぱり決別できた大型社会を知らない。ヒエラルキーのおかげで個人的に知り合うために必要とされる時間とエネルギーを浪費しなくてもどう扱うべきか知ることができる。ヒエラルキーは偶然の歴史的事情に端を発し、さまざまな集団の既得権がそのヒエラルキーに基づいて発達するのに足並みをそろえ何世代にもわたって洗練され、不滅のものとされる。
ただ穢れに対する恐れは単なる作り話ではない。病人や死体といった病気の潜在的な感染源に対する本能的な嫌悪を人間に感じさせる生物学的な生存の仕組みに根差している。女性、ユダヤ人、ロマ、ゲイ、黒人など。分離しておけば彼らが穢れのものとの誰にも思い込ませるのが有効な手段である。

「穢れ」という概念は今回のコロナパニックを見ても人類の本能に根差しているものだと感じる。たぶんコロナにおびえている人はそれがサピエンスとしての本能だとまでは思っていないだろう。しかし、それが実は「差別」につながっていくものだということを知っていると、少し冷静に世の中を見られるようになるのではないだろうか?多くの人が「差別はいけない!」といいつつ、実は大半の人が差別につながっている行動をしているという矛盾。この矛盾を包含しながら人類社会は未来へ進んでいかなければならない。

会社の中でもおそらくこういうことは起こっているだろうし、たぶん私自身も自分で認識せずに差別につながる行動をとっているのだろうと思う。それは単なる「悪いこと」として片付けてしまうと進歩はないのだろう。「サピエンスはそんなものなんだ」という前提に立ち、それでも変えていこうとする意志があるか?重要なのだと感じる。


第9章 統一へ向かう世界

文化は環境の変化に対応して変わったり、近隣の文化と交流を通して変わったりする。内的ダイナミクスのせいで変遷したりする。フランス革命後、世界中の人々が平等と個人の自由の両方を根本的な価値とみなすようになったがこの2つの価値は互いに矛盾する。あらゆる人が好きなようにふるまう自由を保証したら必然的に平等は成り立たなくなる。今現在もこの矛盾を中心にまわっている。
緊張や対立、解決不能なジレンマがどの文化にもスパイスの役割を果たすとしたら、どの文化に属する人間も必ず矛盾する信念を抱き相いれない価値観に引き裂かれる。ただこれは必須の長所である。矛盾する信念や価値観を持てないとしたら人類の文化を打ち立て、維持していくことは不可能である。

会社においても一見「矛盾すること」はものすごく多くある。利益の追求と社会への価値提供。会社の利益と社員の幸せ。矛盾があるからこそ、人々は考え、新しい気づきを得ることができる。そういう意味において「必須の長所」という言葉は希望を持たせてくれるものである。


第10章 最強の征服者 貨幣

勉強の章

第11章 グローバル化を進める帝国のビジョン

帝国とは2つの重要な特徴を持った政治秩序である。
①異なる文化的アイデンティティと独自の領土を持った、いくつもの別個の民族を支配している。
②変更可能な境界と潜在的に無尽の欲を特徴とする。基本的構造もアイデンティティを変えることなく、異国民や異国領を呑み込む。
帝国は過去2500年間世界で最も一般的な政治組織だった。非常に安定した統治形態。帝国に呑み込まれた民族はやがて消化されて固有の文化は消え去り帝国の一員となる。

会社も帝国同様に統一化に向かうのだろうか?会社のM&Aを見ると、このことはすごく感じる。一方で国との違いはすぐにたくさんの新しい会社が生まれることである。国はそんな簡単に生まれることはない。ただ、文化的なことだけを考えると、クラウド化が進む世の中ではA社であろうが、B社であろうが同じIT技術を使っていたりする。このことは結局統合していっているという見方をできなくもないように思う。


80冊読書!1冊目 サピエンス全史(上)完


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