80冊読書!5冊目 銃・病原菌・鉄(下)

上巻は病原菌の話題もあり、思った以上に好奇心を湧きたたせてくれる内容だった。引き続き勢いよく下巻に突入!

第12章 文字をつくった人と借りた人

中米と西ユーラシアの文字が、基本的に似たような原則にしたがって構成されていることは、人間の創造性が世界共通であることを裏づける証拠でもある。シュメール語と中米の言語は系統的にまったく関係がない。しかし、どちらの原語においても、文字システムを考案するためには、同じような言語学的法則が明らかにされなければならなかった。そのため、紀元前600年の少し前に初期の中米の先住民たちは、地球の裏側のシュメール人が紀元前3000年より前に独自に明らかにしたのと同じ方法で言語学的法則を明らかにし、独自に文字を発明したのである。

言語を辿ったときのなかなか面白い考察で、関係のない2つの地域・時代の人びとが結果として、同じ方法で文字を「発明」したというのである。ここに書いてあるように「人間の創造力が世界共通」ということは、単に言語だけでなく、その他のことにも言えるのだろう。ここに思考の起点を置くと、いったいどういうことまで関係のない人間が同じところにたどり着くことができるのか、興味が湧いてくる。

文字は複雑で集権化された社会で生まれる。納税記録や国王の布告などを行うために必要とされるからである。そういう社会は農耕民の社会で起こってくることはこれまでの事例で学んできた。よって食料生産は文字の誕生の必須条件でもある。ただし十分条件ではない。文字の発明はとても難しく、発明よりも模倣のほうが圧倒的に多い。結局この文字も食料生産と同様に、すぐに伝播できるか?ということが大きな要素となる。同じ農耕社会でも文字発祥地から遠いハワイやトンガまではたどり着かなかったという訳である。食料、家畜と同じことがやはり地理的要因によって文字についても起こった著者は結論づけている。

第13章 発明は必要の母である。

人類史上重要とされている発明は、ほとんどがユーラシア大陸でなされているのだ。しかもユーラシア大陸やアフリカ大陸では数千年も前に石器時代が終わっているのに、世界でもっとも豊富な銅鉱床や鉄鉱床が存在するニューギニアやオーストラリアでは、西暦1800年頃になっても、以前として石器が使われていた。こうした事実が、大勢の人びとに、ユーラシア大陸の人びとは他大陸の人びとよりも発明の才や知性にすぐれていると思い込ませている。しかし人の脳のつくりに人種間の差異がないとしたら、技術の発展が大陸ごとに異なっていることはどう考えればよいのだろうか。

ここまで読んで、この章のタイトルである「発明は必要の母である」という言葉がなんとなく理解できた気がする・・・と思ったら、さらに読み進めると「必要は発明の母」ではないことを書いてある。「必要→発明」なのではなく「発明→必要」ということである。すなわち技術的発明は好奇心から生まれてくるが、これを「どう使うのか?」はまた別問題だという。

IT系の仕事をしている私にとっては、すごく分かりやすいし、いつも社内でも伝えていることである。現代のように技術進歩が速い世の中では、新しいテクノロジーが生まれてきては脚光を浴びる。その際「こういうことができる世の中になる!」とメディアがとりあげた大半は、ほぼその通りにならない。そのうち「あの技術はダメだったよね」などと言われて忘れ去られる。しかし、しばらく経つと、今度はその技術を基盤として別の用途で新しいサービスができあがり、一気に盛り上がっていく。こういうケースはいくらでもある。だから新しい技術が脚光を浴びた瞬間は必ず冷めた目で世の中を眺めるようにしている。一方でみんなが興味をなくしたころになって、その技術がどこかでじんわり広がっていないかを興味を持って調べるようにしている。

よく戦争によって新しいテクノロジーが生まれると言われるが、これもそうではなく、すでに存在していたテクノロジーの新たなる使い方を戦争が「必要」とした結果であるということだろう。

技術は、非凡な天才がいたおかげで突如出現するものではなく、累積的に進歩し完成するものである。また技術は、必要に応じて発明されるのでなく、発明されたあとに用途が見いだされることが多い。

技術は伝播をしていく。また新しい技術はそれ以前の技術やそれを生み出す土壌をもとにして生まれてくる。著者は発明・技術の発展の違いをさまざまな角度から検証し、10章で述べた「東西方向に広がるユーラシア」で発展していった要因が大きいことに結論づけている。東西に広がるユーラシアは南北に広がるアメリカやサヘル地域のあるアフリカなどに比べて食料生産の伝播が早く、人口が稠密する場所が増え、また技術の伝播や発展も早かった。

人類の科学技術史は、こうした大陸ごとの面積や、人口や、伝播の容易さや、食料生産の開始タイミングのちがいが、技術自体の自己触媒作用によって時間の経過とともに増幅された結果である。そして、この自己触媒作用によって、スタート時点におけるユーラシア大陸の「一歩のリード」が1492年のとてつもないリードにつながっている。ユーラシアの人びとがこういうリードを手にできたのは、彼らが他の大陸の人びとよりも知的に恵まれていたからではなく、地理的に恵まれていたからである。

第14章 平等な社会から集権的な社会へ

この章はサピエンス全史で「噂話でつながることができる規模」を超えると「神話」が必要になっていくことと同じような話が述べられている。社会の管理システムまで入れると、サピエンス全史では出てきていないことではあるが、おおむね同じである。ここを読んで、やはりサピエンス全史が国家や会社を虚構と言い切った切り口の鋭さに改めて感動してしまう。

食料生産、人口の稠密化、集団が大きくなっていくこと、分業化などなど。サピエンス全史の著者ハラリ氏ははかなりこの本からヒントを得ているかもしれない。

ただ、小集団だった社会がどのように併合されて大規模な社会になっていったのか?という切り口はこの本ならではである。基本的には誰も好き好んで小集団が大集団と一緒になったりはしない。社会の併合は13000年前ごろから戦争やその他の脅威が重要な役割を果たしてきた。病原菌、文字、技術革新、集権化された政治・・・これら4つの要因が絡み合いながら征服が可能となってきた。

第15章 オーストラリアとニューギニアのミステリー

この章ではオーストラリアとニューギニアという同じような民族が住んでいたエリアにおいて、農耕社会と狩猟採取社会に分かれていった理由が前半に書いてある。そして後半にはヨーロッパ人が「発見」した後の違いが書いてある。ニューギニアではマラリアによってヨーロッパ人が定住できず、植民地にはなっているものの、ニューギニア人が住み続けた。一方オーストラリアではマラリアがなく、逆にヨーロッパ人が持ち込んだ銃と病原菌でアボリジニが減少していった。

全体を通して言いたいことは以下のようなことなのだろう。狩猟生活になるか農耕生活になるかは地理的要因によるところが大きい。農耕社会は人口の稠密化により、分業が行われ、集団が大きくなり、集権化された政治になる。一方狩猟生活が行われる地域は人口も稠密化せず、集団も大きくならないため、分業も行われない。文字の伝播もまた、地理的要因によるところが大きい。オーストラリアという地理的特性が、狩猟採取を行い、文字も持たない民としてアボリジニを「発見」したという結果につながった。ただしこれはその環境による帰結にすぎないということである。

第16章 中国はいかにして中国になったのか?

人種のるつぼでありながら、近年になって政治的に造り出された国ではない、いわば例外的な存在は、世界でもっとも人口の多い中国である。
われわれは、中国が統一されていることを当然のこととし、それがどれほど驚くべきことであるかを忘れている。だが、たとえば遺伝子レベルで中国人を考察すれば、中国が統一されているとの思い込みはありえなかったはずである。人種の分類上、中国人は、大雑把にモンゴロイドとしてくくられる。しかし、中国人のあいだには、スウェーデン人とイタリア人とアイルランド人のちがいよりも、もっと多様な違いがみられる。

通常、古代より人が住んでいる地域で、環境や気候が異なる場合、それぞれに集団が分かれているので、言語も多様化しているという。ヨーロッパでは40の言語がある。4万年前から人が暮らしているニューギニアでは1000の異なる言語がある。中国は50万年前から人が住んでいるのだから、ものすごく多くの言語があってもおかしくない。にもかかわらずほとんど単一の言語が話されている。中国もかつては多様性に富んでいたという。しかし、中国がほかの地域と異なることは、「ずっと早くに統一されてしまった」ことにあるという。・・・おっ「キングダム」の世界だ!

始皇帝のおこなった焚書は、それ以前の中国の歴史や文字システムへの理解ができなくなる事件でもあった。一方でこのことにより統一した言語が広がっていく要因になったことも事実であろう。

地形の起伏が激しいヨーロッパに比べて、中国は東西方向に比較的なだらかな地形が広がっている。また揚子江と黄河を結ぶ運河の構築が可能な地形なので、南北間の交流が容易になった。その結果として文化的、政治的統一が比較的早い時期になされたということである。

第17章 太平洋に広がっている人びと

現代社会しか見ていない我々にとって、過去を正しく眺めることは本当に難しい。16章で何度も「オーストラリア」という言葉が出てくるが、私の頭の中にはどうしても現代のオーストラリアが思い浮かんでしまい、アボリジニのオーストラリアが映像で出てこない。同様にこの章に書いてある台湾も今の台湾が思い浮かんでしまう。その台湾がフィリピン、インドネシア、ニュージーランド、果てはイースター島まで広がっていったオーストロネシア人の始祖(台湾の前は中国南部と書いてあるが)と言われてもいまいちピンとこない。ここで言う台湾の人は台湾先住民のことである。

途中にでてくる言語の歴史も面白い。もともと同じエリアに住んでいた人が他のエリアに移った場合、言語の類似性が存在する。しかし分岐後に現れたモノに対する言葉はそれぞれの地域で異なることになる。例えば6000千年前に一緒に住んでいた人びとが移動をしていった。その人たちは多少の変化はあれど、似たような言語を使っていた。しかし1000年前になって「銃」が発明された。その「銃」にあてる言葉はそれぞれの地域で全く違ったものになる可能性がある。それを調べることで、人類のつながりを理解することもできる。12章のところでも書いたが、今後読むべき本の候補に「言語」はぜひとも入れておきたい。

第18章 旧世界と新世界の遭遇

この章はここまで述べてきた食料生産、狩猟生活、文字の発明・伝播、集団生活と分業、集権的な政治体制などが地理などの環境要因によって決定し、長期間かけてお互いの世界の発展速度に違いが出たことを改めてまとめている。そして最終的に1492年に旧世界と新世界が出会った際に旧世界が新世界を征服したことへの関連を改めて説明している。地理的要因がどのように今に関わったかを詳細に述べているこの本を読んだ後では世界地図を眺める姿勢が変わりそうだ。

第19章 アフリカはいかにして黒人の世界になったか

そういえばこの本はここまでユーラシアとアメリカ、オーストラリア、太平洋の島々を中心に描かれてきた。そのためアフリカの話はそれぞれの大陸が東西に広いのか?南北に広いのか?のところで取り上げられていたくらいである。人類史の検証ではアフリカはあまり面白くないのだろうか?世界の6大人種のうち5つの人種が住んでいるのがアフリカだと言うが、やや著者にとってこのテーマでは存在感の薄い大陸らしい。

ただアフリカ大陸とくくっているものの、北アフリカと中央・南部アフリカはそもそも全く違うように思う。エジプトの文明、ローマ帝国を見ても、北アフリカは常に世界の先端をいっていたし、この本で言うユーラシア大陸そのものの立ち位置にあったのではないか?アフリカを1つの大陸とまとめたことにはやや疑問が残る。この章でもくりかえり「サハラ以南では・・・」と出てくる。これは北アフリカとサハラ以南のアフリカを分けて考えているからである。中央・南アフリカにヨーロッパ人が入植したことは、サハラという環境・地理的に分断するものがある以上、これまでの説明で理解ができる。


エピローグ 科学としての人類史

プロローグでニューギニアの政治家ヤリの問いかけた言葉をもう一度見てみよう。

あなたがた白人は、たくさんのものを発達させてニューギニアに持ち込んだが、私たちニューギニア人には自分たちのものといえるものがほとんどない。それはなぜだろうか?

著者はこの本の目的を以下のように言っている。

世界のさまざまな民族が、それぞれに異なる歴史の経路をたどったのはなぜだろうか?本書の目的は、この人類史最大の謎を解明することにある。

そして同じプロローグの中でこの本をたった一文で要約しろと言われると下記のようになると言う。

歴史は、異なる人びとによって異なる経路をたどったが、それは、人びとのおかれた環境の差異によるものであって、人びとの生物学的な差異によるものではない。

さてここまで読み進めてきて、おおよそ著者の言いたいことは理解できた。改めてまとめてくれているので記載しよう。

第一に栽培化や家畜化の候補となりうる動植物種の分布状況が大陸によって異なっていた。このことが重要なのは、食料生産の実践が余剰作物の蓄積を可能にしたからであり、余剰作物の蓄積が非生産者階級の専門職を養うゆとりを生み出したからであり、人口の稠密な大規模集団の形成を可能にしたからである。

このことが結果的に技術、政治面での優位性を築いたことにつながる。

伝播や拡散の速度を大陸ごとに大きく異ならしめた要因もまた重要である。この速度がもっとも速かったのはユーラシア大陸である。それは、この大陸が東西方向に伸びる陸塊だったからであり、生態環境や地形上の障壁が他の大陸よりも比較的少なかったからである。

このことが作物や家畜の伝播、また技術の伝播にも大きく影響した。

大陸間の伝播の容易さは、どこも一様だったわけでない。地理的に孤立している大陸もあるからだ。

ユーラシア大陸から隔てられていたオーストラリアや南北アメリカではユーラシアで発達したものの伝播がほとんどなかった。

4つ目めの要因は、それぞれの大陸の大きさや総人口の違いである。面積の大きな大陸や人口の多い大陸では、何かを発明する人間の数が相対的に多く、競合する社会の数も相対的に多い。利用可能な技術も相対的に多く、技術の受け入れをうながす社会的圧力もそれだけ高い。

以上の4つがこの本を通してプロローグの目的のために証明してきた内容である。

この本の面白いところは著者自身が「まだ未解決の問題点があり、その研究をどのように進めるべきか」を考察しているところにある。自分の証明が正しいということではなく、もう少し踏み込んでいくことでさらに理解が深まると考えているのだろう。研究者として正しい姿勢だと思う。歴史の考察は新たな「発見」がなされることでいとも簡単に覆るものである。特に人類史のように長く広範な研究は未来の研究で新しい発見と見解が出てくることは間違いないだろう。それでも、この途中経過を知ることは知的好奇心を十分に満たしてくれる素晴らしいことである。

中国とヨーロッパの対比はとても面白い。16章で中国がいち早く「統一」をなしとげたことが書いてあった。このことが近代における発展のスピードにおいて中国がヨーロッパに後れをとってしまった理由としている。一方でヨーロッパは歴史上一度も「統一」を成し遂げていない。それは戦争という悲劇を生み、そこから夢を見て統一ヨーロッパたるEUをつくろうとしたのだが、そのEUも今、崩壊の危機にある。もし遠い昔に統一ヨーロッパというものができていたならが、世界の歴史は大きく変わっていただろう。著者はこの違いですら「地理的要因」としている。

このエピローグの主題として「科学としての人類史」と書いてあるが、著者は歴史学を一般的な理系の学問とかけ離れた学問とは見ていないとしている。一方でその難しさをこのようにも述べている。

歴史は、究極的には決定論的であるが、その複雑性と予測不能性は因果の連鎖があまりにも長すぎることで説明できるかもしれない。歴史の因果の連鎖は非常に長いので、究極の要因が歴史科学の範疇以外のところにあって、因果関係の出発点と最終点がつながらなくなってしまうこともありうる。

ただこのことを超えてでも歴史を科学として捉えようとする試みによって「何が現代社会を形作り、何が未来を形作るのかを教えてくれる」ことになると締めている。

80冊読書!5冊目 銃・病原菌・鉄(下)完


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