80冊読書!6冊目 帳簿の世界史(3)

今回で帳簿の世界史も読了です。好奇心や創造力を掻き立てるという点では前半と比較して中盤はいまいちでした。史実そのものよりはそこから広がる発想(空想でもよい!)があるからこそ歴史は面白いのだと思います。もう少し発想の飛躍がほしいところ!サピエンス全史で毒されてしまったのか。。。

第11章 鉄道が生んだ公認会計士

19世紀、西洋各国ではすでに財政システムが確立し、中央銀行の設立、政府による会計基準の構築などが進んできた。時代は帝国主義と資本主義。悪徳資本家、戦争、貧困など負の側面も見られる時代に会計が担ったことは何なのか?という視点で話は進む。

産業革命がもたらしたさまざまな優位性や利便性の中でも、鉄道は最も特筆すべきものとい言えるだろう。鉄道は世界を変えた。これまで自分の生まれ故郷から出ることなど思いもよらなかった人びとが、ほんの数時間で大都会へ行けるようになった。それだけではない。鉄道は、財務会計を変え、政府のあり方まで変えた。
当時のアメリカでは最大手の繊維メーカーが4セットの元帳を維持していたのに対し、1857年のペンシルバニア鉄道は144セット持っていた。

鉄道は莫大な資本を必要とする。当然多くの出資者があって成り立つものではあるが、それだけに明朗な財務会計とその開示は必須となる。しかし事業を構成する要素が幅広く、規模も大きい鉄道事業は会計業務の効率としてはとても悪いものであった。その中で新しい概念が生まれたり、投資が大きくなる分、減価償却をどのように考えていくかがより緻密になっていったりした。

莫大な投資を必要とする鉄道だからこそ、モルガンやロックフェラーなどの資産家はその投資を実行し莫大な利益を得た。一方で政府はそこに追い付くまでの監査をしていなかったため、課税をすらできない状況になってしまう。当然、粉飾決算も横行するようになる。多くの投資家がいる中で鉄道会社の不正が横行すると、投資家を巻き添えに破綻する可能性も高くなる。この状況の中で生まれてきたのが会計士というわけだ。この会計士はヨーロッパに広がったが、初期のころは権威がなかった。イギリスでは次第に法整備が整い、19世紀半ばまでには「公式に付託された会計士」である公認会計士が生まれるようになる。このころにデトロイト、プライスウォーターハウスといった会計事務所も登場している。

ここまで読んできて思うのは帳簿の世界史はヨーロッパ、アメリカ中心で動いてきた歴史である。だからこそ会計の世界基準が彼らによって決まってくるのも当然だろう。また会計事務所そのものの力も、歴史的に見て日本とは比べものにならない。今も監査法人と企業の関係性についてさまざまな議論が行われるが、そもそも政府が追い付けない会計監査を民間に付託している歴史からみても、その根本解決に至るのはなかなか難しいものがあるのだと感じる。

第12章 「クリスマス・キャロル」に描かれた会計の二面性

会計の合理性を万人が信頼していたわけではない。工業化社会の到来に伴い、経済犯罪は急増し貧困が深刻化する状況を目の当たりにして、19世紀の金融評論家が会計の社会貢献度や個人・組織の会計責任のあり方について懐疑的になったといても、当然だった。なるほど会計士は尊敬すべき職業に違いない。だが不正はあまりに多く、しかも増え続けていた。人びとは昔ながらのジレンマ、すなわち会計は善と秩序の道具にもなりうるが腐敗の手段にもなりうるという二面性に相変わらず悩まされていたのである。

帳簿は記録であり、人の手でつくられる。ということは操作をすることができるということでもある。しかも扱うものが「お金」という人間の欲望と密接な関係をもったものだからこそ、正しさを追求することの難しさがある。人の心が首尾一貫していることなどほとんどなく、何もない時いは公明正大にといっていても、ひとたび何かが起これば、それを隠そうとしてウソをつきたくなるのが人間である。会計とはそういう人間の心と絡んでいる。本書で何度も出てくる会計責任(accountability)はこの側面があるからこそ、より強調されることになるのだろう。

第13章 大恐慌とリーマンショックはなぜ防げなかったのか

20世紀初頭、イギリスとアメリカでは会計士に対する考え方が異なっていた。イギリスでは会計士は計算を本業とし、正確無比な監査をすること目指していた。一方アメリカではビジネスの変化が速く、規制がほとんどんないため、帳簿がきちんとしていなかった。そのアメリカでは会計士には帳簿の事実よりも事業経営のアドバイスが求められた。

その結果、アメリカにおいては財務諸表も会計原則も無視されたような財務報告がなされることが常であった。1920年代の大恐慌は単にバブルがはじけたということだけでなく、上場企業の不透明でいい加減な帳簿の存在も、経済を悪化させる要因となっている。この時代を経て、アメリカではSECが設立されているが、その結果として監査法人は負担と責任が大きくなってしまった。そのため、監査法人は監査証明に次の文言を記載することを望んだ。

われわれの検査は、御社が準備した財務書類に所見を述べる目的で行ったものである。

第二次世界大戦後はグローバル化の進展、それにともなう国際会計基準の構築などが進んだが、さまざまな国が絡んでいるため会計はより複雑化し、一般の人では高等教育を受けていてもチェックすらできなくなっていった。監査法人はその後、コンサルティング業務へと業務を拡大していく。もはや監査をするべき監査法人が、巨額のコンサルティング契約を受注しているという矛盾の中で、監査法人の独立性は怪しくなっていったのである。

1990年代には会計事務所の収入の半分以上がコンサルティング業務となっていた。償却期間の引き延ばし、四半期売上高の水増しなど、あらゆる操作がおこなわれる状況下、会計と責任の原則は忘れられ、ゆるい規制のもとで高度な金融商品が次々を発明されていった。

アーサー・アンダーセンは1992年から2001年までの10年間で利益を3倍以上にしたが、その70%はコンサルティング部門であった。そのコンサルティング契約先はウェイスト・マネジメント、ワールドコム、エンロンなどであった。粉飾会計で株価を押し上げていたわけだ。

粉飾会計が明るみになったことを契機に規制は厳しくなるが、銀行や企業側も「創造性ゆたかな」財務・会計責任者を雇い入れ「対応」していった。

2008年のリーマンショック時に金融犯罪で有罪になったものは一人もいない。当時の司法長官が「主だった投資銀行の規模と重要性からして、金融犯罪で摘発するのは『はばかられるほど影響力』がある」と言っている。金融システム全体を不安定化したくないという気持ちの現れである。

法律や規制ができ、金融ジャーナリズムが活発に活動したとしても、金融業界には透明性に対抗する頑強な壁がある。要するに事業の内容が複雑すぎ、規模が大きすぎて、銀行であれ企業であれ政府機関であれ、もはや監査不能なのである。たとえばゴールドマン・サックスを真剣に監査するとしたら、会計士は何人必要だろうか。1万人だろうか。それとも4万人だろうか。いやいや、そもそも監査などできはしない。現時点では規制当局も監査法人も、変化し威力を増し続けるウイルスのような金融ツールやトリックにはるかに遅れをとっている。

この章を通じて言いたいことは、もはや世の中の人が「監査」というものに期待したところで、現実はそんなことはちゃんとできはしないということである。我々は個人は財務報告が正しいと思って投資を行っているが、そもそも投資をする際には「正しさ」ではなく「株価があがるか」しか見ていないのではないだろうか?インターネット社会で金融のグローバル化が進んだ現代、このことはより進んでいく。リーマンショックを経てもなお、やはりバブルは繰り返し、その瞬間は「この価値は正しい!」という喧伝がなされ、バブルが終わったあとで「あればやっぱりウソだった」の繰り返しをしていくのであろう。

終章 経済破綻は世界の金融システムに組み込まれている

複雑化する社会において会計もさらに複雑化していく。現状の日本でも、そもそも財政が破綻してスーパーインフレがやってくるとか、一方でそんなことは絶対に起きないなどの議論があり、誰も正解など分かっていない状況である。今、日銀が株式市場や債券市場にものすごい勢いでアクセスしていることを考えると、企業と国家という垣根はもはや存在せず、ありとあらゆる金融・経済システムがグローバル経済の中に飲み込まれている。そして誰もそのすべてを理解してなどいない。

本書では「いつか必ず来る清算の日」という表現をしているが、それは今回のコロナパニックかもしれないし、そうでないかもしれない。

ただ、一企業人として思うのは、グローバル経済がどうであれば、まずは企業人としては倫理を持ち続けることを怠らないようにしなければならない。なぜなら今の規模の会社は、把握ができる規模であり、きっちりとコントロール可能な大きさだからである。一方でグローバル経済に対しては、冷静な目で向き合い続ける必要があるだろう。

サピエンス全史では下記のようなくだりがあった。

物理学や経済学と違い、歴史は正確な予想をするための手段ではない。歴史を研究するのは、未来を知るためでなく、視野を広げ、現在の私たちの状況は自然なものでも必然的なものでもなく、したがって私たちの前には、想像しているよりもずっと多くの可能性があることを理解するためなのだ。

この帳簿の世界史が語っている歴史の長さはサピエンスの歴史に比べたらものすごく短い。この歴史を学ぶことは「未来には想像しているよりもずっと多くの可能性がある」ことだとすれば、現状に悲観することも、楽観することもないと思う。資本主義社会がどのようになっていくのかは、まだ我々の誰も分かっていないのだから。

80冊読書!6冊目 帳簿の世界史 完



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