80冊読書!3冊目マキアヴェッリ語録(3)

マキアヴェッリ語録、最終章!第3部「人間篇」です。

マキアヴェッリは権謀術数を用いる代表のように言われるが、彼は冷徹なまでに「人間」というものを観察してきたのだろう。400年経っても、この人の言葉が読み続けられるのは、人間の本質を突いているからでもある。サピエンス全史で書かれた「人間至上主義」が当たり前のことと思われている現代だからこそ、そうでない時代に人間を観察し続けた洞察力は意味がある。

名声に輝く指導者たちの行為を検討すれば、彼らがみな、運命からは、機会しか受けなかったことに気づく。この変わりやすい運命の波に飲み込まれない道は時の流れと自分のやり方を合致させることである。これに成功したものだけが生き残り、時勢とかみ合わなくなったものは、個人の力量がすぐれていても失脚する。
運命はなにか偉大なことを為そうとするとき、運命の与える好機に気づき、それを活用する気概にあふれ、才能にも恵まれた人物を選ぶものである。
衆に優れた人物は、運に恵まれようと見離されようと、常に態度を変えないものである。反対に弱い人間にとっての運命の変転は表にあわられてしまう。幸運に恵まれたときは有頂天になり、まるで自分個人の力量のためであるかのように得意がる。運にかげりがさしはじめるや、とたんに沈み込んでしまい、卑屈な人間に変り果てる。
運命に振り回されやすい性向は、受けた教育の結果であることが多い。教育が正しくなされていない場合は運に振り回されやすい性格になる。反対に、それが正しくなされていれば逆境にも動じない人間になる。なぜなら、教育は人間社会を知ることを教えてくれるものなので、その変転の激しさを理解できるようになり、動じない性格を作り出すことになるからだ。
過去や現在のことに想いをめぐらせる人は、国家や民族が違っても人間というものは同じような欲望に駆られ、同じような性向をもって生きたことが分かる。過去のことを詳しく学ぶものは現在のことも判断がつき、対策を立てることもできる。完全に同じ状態が過去に見出せなくても本質的には同じなのだから、現在のことへの対し方も見通しがつく。しかしこの教訓は往々にして無視されるか理解されない。だから人類はいつになっても相変わらず同じ醜態を繰り返している。
忍耐と寛容で人間の敵意が溶解できると思ってはいけない。また報酬を与えれば敵対関係すら好転できると思ってはいけない。
人の為す事業は動機ではなく、結果から評価されるべきである。
権力者に対して不満を抱いている場合、実力に自信が持てれば堂々と正面から闘いを挑むべき。反対に実力が不十分な場合は友好的な関係を樹立するよう努めるべき。敵の趣向に迎合するもよし。自分の抱く深謀遠慮を実行に移すときがくれば好都合な土壌となってくれる。
民衆の気分というものは、はなはだ動揺しやすい。それゆえ彼らの支持を得ることはさして困難ではないが、その支持を保ち続けることは大変にむずかしい。
民衆は無知ではあるけれども、真実を見抜く能力は持っている。だから彼らの信頼を一身に集めている人が真実を告げれば、意外と容易に説得されうるものである。
長期にわたって支配下におかれ、その下で生きるのに慣れてしまった人民は、何かの偶然で転がりこんできた自由を手にしても、それを活用することができない。
人間というものは、危害を加えられると思い込んでいた相手から親切にされたり、恩恵をほどこされたりすると、そうでない人からの場合よりずっと恩に感ずるものである。
人間は恐怖心からも、憎悪の心からも、過激になりうる。
人間というものは、必要に迫られなければ善を行わないようにできている。
ある人物が賢明で思慮に富む人物であることを実証する材料の一つは、たとえ言葉だけであっても、他者を脅迫したり、侮辱したりしないことであると言ってよい。脅迫は相手の用心を目覚めさせるだけだし、侮辱はこれまで以上の敵意をかき立たせるだけである。
ある人物を評価するに際して最も簡単で確実な方法は、その人物がどのような人々とつきあっているかを見ることである。
人間というものは権力をもてばもつほど、それを下手にしか使えないものである。
軍の指揮官にとって最も重要な資質はなにかと問われれば、想像力である。と答えよう。
天国へ行くのに最も有効な方法は、地獄へ行く道を熟知することである。

80冊読書!3冊目 マキアヴェッリ語録 完


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