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乳首が服の上から浮きでるイラストは、リアリティから見てありえない?

質問箱・乳首が服の上から浮かんでいることに対してどう思いますか?

質問箱に寄せられた質問

「絵(イラスト)とは、人体などをリアルに描いたもので、徹頭徹尾リアルに忠実でなければいけない」という古くさい誤った考えから脱却していただきたい。あなたは表現規制論者やツイフェミと同じ陣営にいる。絵を理解していない。

あなたにはマニエリスムという言葉を覚えていただきたい。

かつて15世紀頃、古典主義というものがあった。人体の正確な数字や正確な比率に基づいて人体を描くものだった。レオナルド・ダ・ヴィンチが古典主義の代表的な人物である。

16世紀、ダ・ヴィンチやラファエロの没後、古典主義の次に、マニエリスムというものが生まれる。マニエリスムは、正確さよりも表現へとベクトルを振ったものだった。マニエリスムの作品では、「リアル&厳密&正確に言うと、この首の長さ、違うんだよね。実際の人間の首としては長すぎるんだよね」というのがある。だが、事実に反して長く描かれたことによって、苦悶の姿がしっかり表現されていたりする。

正確さよりも、表現を。正確性よりも表現性を。人体を正確な比率や正確な数字に基づいて示すことよりも、見る者に感じさせたいものを表現する方を。

たとえば、ピッチャーがボールを投げる時、腕がしなる感じという表現がある。リアル&厳密にいうと、腕がしなることはない。腕がしなってカーブ(湾曲)することはない。したがって、リアル&正確に表現するなら、腕はしなった感じの絵、腕が湾曲した絵にはならない。だが、しなった感じを最大級に表現しようとした場合、リアルを知りながら敢えてリアルに対して背を向けて「カーブ(湾曲)した形の腕」を描いた方が、「しなっている感じ」は読者に伝わる。

リアルや厳密さや人体的正確さよりも、表現を取るのが、マニエリスム見る者に与えたい印象を表現する方を取るのが、マニエリスム。漫画やイラストは、マニエリスムの延長線上にある。

人間は、強調してものを覚える。この性質により、絵の世界では必ずしもリアルや厳密性や正確性だけが正義とはならない。マニエリスムは、人間の記憶の特質から生まれたものとも言える。

リアル&厳密に言うなら、ブラを装着している場合、服の上から乳首が浮き出るということはないだろう。だが、敢えて乳首のエロさを表現したい、乳首のエロさを見せたいという表現の方を取った場合、リアルとは違うと知りながらリアルと違う表現をするということが、絵の世界、イラストの世界にはある。まさにマニエリスム。世間で騒がれた乳袋にしても、マニエリスム的表現と言える。「オッパイがむっちり」「立体的に存在感を示している」「オッパイが2つ」ということを読者に最大級に見せようとなると、リアルに反した形の表現、乳袋になる。

マニエリスム的表現に対してリアルや厳密さや人体的正確性を主張して批判するというのは、絵に対する批判者の見識のなさを示すということ。絵に対しての見識がないにもかかわらず「自分にはそう見えるから」と言って、自分の印象こそ普遍的な正義と勘違いして批判する人が多すぎる。そしてこの、「自分の印象こそ普遍的な正義」と勘違いして「萌え絵はエロ」「女性差別」と批判して秋葉系をバッシングするのが、ツイフェミであったり表現規制論者であったりするという重要な事実を、忘れてはならない。絵に対して私評を公で口にするのなら、マニエリスムを覚えてからにしていただきたい。

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