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エロ小説に関して絵はどの程度重要ですか?(質問箱)

質問箱・エロSSで鳴かず飛ばずなんですが、エロ小説で絵はどの程度重要?

商業出版で出すのなら、絵のウェイトは決して無視できない。特に表紙のデザインは重要。いい表紙イラストならば、お客さんが手に取る確率は上がり、悪い表紙イラストならば、お客さんが手に取る確率は下がる。『揉ませてよオレの正義6の表紙は実にすばらしいものだった。

ただし、それはクオリティがだいたい近いレベルの作品群の世界での話。商業エロゲーでも言われることだけど、絵がすべてではない。だが、わかっていない人に限って「絵がすべて」だと誤って思い込む。

物量で考えてみよう。商業エロラノベの場合、だいたいイラストは10枚。本文は250頁あたり。美少女文庫の場合は300頁近くになる。

つまり、活字だけが占めている割合は、250/260~300/310。だいたい96%。商業エロラノベを読んでいる時、96%はずっと活字だけを眺めているということになる。この数字から考えると、活字だけの部分がエロくなければ、読んでもらえない。活字だけの部分が面白くなければ、読んでもらえない。4%を占める絵は凄いけれど肝心の96%を占める活字の部分がへぼ、なんて作品は正直つらい。そんなものは誰も読みたくないだろう。4%のすばらしさのために96%のへぼを我慢するなんて、どう考えても無理だ。10枚のすばらしさを味わうために96%のへぼを受け入れるのかと言われれば、正直受け入れたくない。

ぼくの代表作『ブラバスター』はシリーズ9巻に到達したヒット作になったが、『Jカップ学園忍法帖』は3巻で打ち切りとなってしまった。理由は明白だ。エロくなかったからだ。

絵師は辰波陽徳さんだったので、絵師の力量についてはまったく問題なかった。むしろブーストをいただいていた。にもかかわらず3巻で打ち切りになったのは、エロくなかったからだ。絵は、本文のクオリティの低さ(エロの低さ)をカバーできるものではない。それは絵の全体比率が4%未満なのに対して、活字の全体比率が96%だという数字からもわかる。主役は活字のエロなのだ。

あなたは本末転倒のことをしようとしている。鳴かず飛ばずなのは、あなたのエロがだめだからだ。にもかかわらず、一番の原因、一番の問題を放置して、別のものによって解決しようとしている。しかし、一番の原因、あなた自身の問題がまったく解決されていないので、絵師を使ったところで問題は解決されない。絵師はよくてもエロがくそな小説など、誰も読みたくない

2000年代初頭、ぼくが『巨乳教室』というエロ小説をアップしている時、絵なんかついていなかったけど、毎日6000人の人がアクセスしてくれた。理由はエロくて面白かったからだ。

エロくもない小説を書いていれば、人は来ない。あなたのエロ小説自体に問題があるのに、なぜエロ小説以外のことで解決しようとするのか

『巨乳教室』は、アクセス数を稼ぐために書いたものじゃない。ぼくが抜くために書いたものだ。90年代は巨乳好きにとっては不毛の時代だった。エロ漫画でも、なかなかいい巨乳フェチ漫画がなかった。表紙が巨乳でも、中身を見たら全然違うものってことが、多々あった。その不満から、「じゃあ、おれが書く!(オッパイ星人の自分のために、自分で小説を書いてやる)」と始めたのが、ぼくのエロ小説の始まりだったのだ。そしてその始まりの延長線に『巨乳教室』があり、それがぼくの代表作『ブラバスター』となった。

お客さんのアクセス数が欲しくて書くのなら、書くのはやめなさい。エロ小説は他者承認(他人からの承認)の道具ではない。エロ小説は、まず自分が抜くために書くものだ。自分のエロを突き進んだ果てに、アクセス数がある。自分の問題を放置して外部によって問題を解決しようとするのはやめなさい。エロに問題があるのなら、まずエロで戦いなさい。

※追記

すでに商業で出版されたものが十年二十年三十年ぶりに復刊します、となった時、表紙はめちゃめちゃ重要度を増します。純文学シリーズが今風のアニメ的なイラストでセールスを伸ばしたことは記憶に新しい。逆に今の時代に合わせたイラストにしないと惨敗ということがあります。ただし、この話はあくまでも「かつて出版されて好評を博した作品を復刊する場合」「すでに何十年も出されている本を装い新たに刊行して読者を獲得したい場合」の話です。新作の話ではありません。

あなたのようにアマチュアの方の場合、有名な絵師にイラストをお願いすることによって閲覧者数は増えるかもしれません。でも、肝心の中身がエロくないのでは、その後、お客さんは離れていってしまうでしょう。

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