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イギリスでは女王はからかいの対象になるのに、日本ではなぜ天皇はタブーなのか?

え~と、「とにかく天皇、嫌い」とかいうわけやないよね?(笑) 多くの人の上に立っている人、たとえば首相とか天皇とかのポジションの人が嫌いってわけやないよね? それ、「あんなやつやなくておれにスポットライトを浴びせろ!」っていう羨望せんぼうか、「おおやけはとにかく信用できん!」っていうおおやけに対する個人的な不信感やからね。

あなたはそうではないと思うので、話をしましょう。

ヨーロッパでは、近代国家をつくりあげていく時に、基本的に王をどんどんすっぽんぽんにしているんです。王から権力を剥ぎ取り、神聖性を剥ぎ取り、それをすべて民主主義的政府に移しているんです。「間違った政治を行なった王という馬鹿者を引きずりおろせ、みんな剥ぎ取れっ」てなって、実際に引きずり下ろして権力も神聖性も剥ぎ取った経緯を持っているわけです。そういう王から権力と神聖性を剥ぎ取ったところ、剥ぎ取ることが是とされたところでは、王はもはや神聖にして崇敬の対象ではないので、諧謔かいぎゃくの対象となります。

対して日本では、近代国家をつくりあげる時に、王(天皇)を基盤、機軸に据えたんです。国家の土台、国家をまとめるための軸に据えたんです。まずここが、ヨーロッパと違う部分。

さらに日本の場合は「間違った政治を行なった王という馬鹿者を引きずり下ろせ~っ」て引きずり下ろして、権力も神聖性も全部剥ぎ取ったってことはしてないわけです。神聖性は残っているんです。この、「王に神聖性が残っている」というのも、ヨーロッパと違う部分

ちなみに歴史をひもとくと、王って、最初は祭祀さいしなんです。宗教行事を行なうトップなんです。それを聞いて、卑弥呼を思い出したでしょ?

そうなんです。原始の王は祭祀王なんです。ある意味、国にとって神聖な行事をする人なわけで、王は神聖性をまとっているわけです。

その後、王は祭祀王という側面が薄れて軍事の王に変わっていくんですが、それでも王には神聖性が宿ってたんですね。ヨーロッパの王だと、按手あんしゅっていうのがあります。病人とかに手を当てて治しちゃう。王にはそういう力があるとされていたんですね。で、即位すると、按手の行事もちゃんとあった。

でも、そういう神聖性の部分、霊的な行事の部分は「この馬鹿王を倒せ~っ!」ってなった時に、全部王から剥ぎ取られちゃうわけです。つまり、ヨーロッパの王は神聖性が剥ぎ取られてしまったわけです。特にイギリスの王はそうですね。

で、日本の王は?

即位した後に、霊的な行事をいっぱい行ないますね。あれ、日本の王には祭祀王的な側面が残っていて、つまり、日本の王には神聖性がある(と看做みなされている)という証拠なんです。

まとめますね。

ヨーロッパ、特にイギリスでは、王から権力と神聖性が剥ぎ取られています

でも、日本では、王から権力は剥ぎ取られましたが、神聖性が残っています。おまけに、日本という国家が王を土台&軸にしてつくられたという歴史は変わりません。

そういう歴史を持つ日本、王に神聖性が残っている日本では、王(天皇)に対する扱いはヨーロッパとは違うものになります。神聖性をめっちゃ持っている対象に対しては、どうしても扱いが不寛容になるからね。たとえば明治神宮で外国人が飯食ってたりすると、イラッとするからね。遭遇したことはないけど「おまえ、神社(のような神聖性のある場所)で飯食うなよっ!!」ってなっちゃうんです。

ちなみにイスラム教的世界の場合には、この「日本の王(天皇)」に該当するものがアラーなのだろうと思います。

話は変わりますが、グロ扱いでも日本とヨーロッパは違いますね。

日本では、身体は先祖からいただいた貴重なもの、大切なもの。勝手に変なことをしていいものではない。そういう考えがあるので、グロはご先祖からいただいた貴重な身体への毀損になってしまって、グロへの風当たりは厳しくなります。

でも、ヨーロッパに日本みたいな考えはありません。むしろ、肉体は悪であり魂が善であるという考えが、長い間ありました。だから、肉体を鞭などで痛めつける修行の一派なんかもいたんですね。肉体は悪なのだから、その悪を懲らしめるっていうね。そして、同時に己の身体を痛めつける際の苦痛にキリストの苦痛を重ね合わせて神の道を進むっていうね。日本人からするとぽかんな部分がありました。だから、グロに対してはヨーロッパの方が寛容になるんです。

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