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抽送は抽迭の書き間違いというフランス書院の説明自体が間違い


男のピストン運動を示す言葉について、こんなことが言われている。曰く、抽迭が正しいのに、誰かが間違って抽送を使いはじめたために間違った方の表現「抽送」が広まってしまった……。出典はフランス書院のフランス文化用語辞典である。

フランス書院「フランス文化用語辞典」

他の多くの方が指摘されている通り、フランス書院の説明は間違いである。全13巻の日本最大の『日本国語大辞典第二版』にも、そして『字通』にも、抽送と抽迭はない。抽迭なんて日本語はないし、抽送も正式な日本語としては存在しない。フランス書院の説明では、「抽迭は正しい表現でちゃんと辞書にあるんだけど抽送は辞書にない」ということになるが、日本最大の辞典に抽迭がないにもかかわらず、フランス文化用語辞典のように説明することはできない。

ぼくが調べた限り、「抽送」が載っている辞典はただ1つ。小松圭文編著『いろの辞典改訂版』(文芸社、2000年)のみである。

『いろの辞典改訂版』にはこうある。

《性交運動、抜き差し。「抽」は抜き出す・引き出すという意味、「送」は入れる、送り込むという意味。従って、女性器に陰茎を出し入れする性交運動という意味になる。》

俗語的な表現としては、抽送は2000年には存在していたということだ。しかし、『いろの辞典改訂版』にも抽迭はない。俗語辞典にはぎりぎり抽送があるが、抽迭は俗語辞典にすらない。

そもそも、「」は「互いに」「代わる代わる」「すぎる」の意味。 抽迭は「互いに抽く」「交互に抽く」「代わる代わる引く」の意味になる。互いに抽くってなんだ? 交互に抽くってなんだ? ピストン運動を示すものとしては意味不明だ。

ポルノ作家の館淳一先生も、2005年1月の記事ですでに間違いを指摘されている。知り合いの中国人(つまり、中国語ネイティブ)の方に聞いた顛末を次のように記されている。

結論からいえば「ペニスを出し入れする、いわゆるピストン運動において「抽送を使うのはなんら問題はない」。
そもそも「抽」は「引き出す」、「送」は「送りこむ」。入れたり出したりする意味で、中国人にとってはごく当たり前の語なのだ。
ただし、卑猥な意味が最初からあるので、辞典などには掲載されにくい。「ずっこんばっこん」という語が広辞苑にないのと同じこと。

一方「抽迭」は、みんなが首を傾げて「そんな語は中国語には無い」と答えた。
「迭」は「更迭」で分かるように「入れ替える」という意味。
その学者さんは「無理して意味を付与すれば、一本のペニスを引き抜いてもう一本のペニスに替える」ということだから男二女一の三Pということなら使えるだろう」と笑いながら答えたものだ。

抽送は俗語的な表現として流通している。だが、抽迭は違う。抽迭は、「抽送は間違った表現、抽迭こそが正しい表現」という間違った考えの下に出版されてしまった作品の中に含まれている。なんと悲しき皮肉なり。おれもどこかで抽迭と書いて作品を出してしまった記憶が、がががが。

改めて言おう。抽迭という言葉はない。だが、抽送という言葉は俗語的には――ごく一部の間で流通する言葉としては――ある。抽送はいったいどこから来たのか。

明の時代、恐らく1610年頃に『金瓶梅』という四大奇書が中国で出版されている。その『金瓶梅』の翻訳者・田中智行先生が、 抽送が『金瓶梅』で使用されていること、しかし、『金瓶梅』よりも早く16世紀中頃に出された作者不明の小説『如意君伝』で抽送が使われていて、『金瓶梅』はそれを踏襲していることを指摘されている。

これはぼくの推測になるが、恐らくこの『金瓶梅』や『如意君伝』で使われていた抽送が日本のポルノ作家に借用されて、日本のポルノ作家の間でのみ書き言葉として使われるようになったのではなかろうか。ごく一部でしか使われていないので由緒正しいなんて言い方は変なのだが、まだ由緒正しいのは抽送の方なのである。抽迭こそは誤字の固まりなのだ。フランス書院は「抽迭が正しいのに抽送と書き間違えた人がいて、間違った方が広まった」と説明しているが、フランス書院の説明自体が間違いなのである。

抽迭は存在しない言葉だ。そして抽送は、中国の古典から借用した、ポルノ作家限定の内輪の言葉だ。

問題は、なぜ間違って真逆のような説明が行われたのかである。ぼくの邪推だが、もしかして旧字体の送を迭と間違えてしまったのではないだろうか。漢字ペディアで調べてみると、こうなっている。



に……似ている(笑)。「迭」と似ている……(笑)。

ぼくの揣摩憶測はともかく、フランス書院が抽送と抽迭について間違った説明をしてしまった経緯については、ポルノ作家の館淳一先生が、先の記事で記されている。

では、フランス書院がなぜこんな誤った解釈を載せたのか。ぼくが聞いたところでは、評論家の小鷹信光氏がフランス書院の編集者にそう言ったというのである。どうも氏は「そこらへんの無学な人間がもっともらしく漢語を使ってインチキな文章を書いている」と苦々しく思っていたのではないかと思われる。
しかし、それはあなたのほうが間違ってますよ、小鷹さん。
フランス書院は早くこの項を抹消するか書き改めないと、また同じように「鬼の首をとったような」バカが現われて大騒ぎするよ。誰か言ってやってくれないかな。(ぼくはずっと前に伝えてある)

小鷹信光氏は、1970年代~80年代にかけてフランス書院でドン・ベルモアの『姉の寝室』やトー・クンの『姉』『女教師』を翻訳されたり、別名義でポルノ小説を書かれたりしている。恐らくその縁で、フランス書院の編集者に話されたのだろう。

館淳一先生の2005年1月の指摘からすでに17年が経過しているが、依然として過ちは正されていない。そして、謬説を正しいと勘違いして「抽迭」と間違って書く人がまた生み出されていく。それは、ポルノ小説を出版する会社にとって――それも最大手にとって――望ましいことなのだろうか?

改めて整理しよう。

・抽送の方が、ピストン運動を指す言葉としてはまとも。出典は明代のエロ小説『如意君伝』で、抽送は恐らく日本のポルノ作家の間でのみ書き言葉として流通した限定的な俗語。
・抽迭自体が、間違って「正しい表現」とされたものであり、抽迭こそ間違い&勘違い。

なお「抽挿」という表現もある。抽挿は、もちろん『日本国語大辞典第二版』(2003年発売)にも『字通』(大型版は1996年発売)にも『いろの辞典改訂版』(2000年発売)にも載っていない。 実用日本語表現辞典というサイトでは次のように説明されている。

性交時に、男性の陰茎を抜き差しすること、ピストン運動をすること。BL小説(ボーイズラブの小説)などで使われる、俗語表現。
投稿時刻 12th October 2010、投稿者 Unknown さん

重要なのは、投稿時刻2010年10月というところ。96年、2000年、2003年発売の辞典には抽挿は載っていないので、この投稿時刻と照らし合わせると、抽挿という表現は、ゼロ年代の間にBLで発明されて広まった言葉ではなかろうか。なお、意味的には抽迭と違って合っている。ただ、抽挿が文章語として定着するにはまだ時間が掛かるだろう。商業レベルにおいて抽挿が抽送と併用されるようになるのは、10年近く(2030年代)掛かるかもしれない。

抽迭の誤り(勘違い)については、館淳一先生をはじめ多くの方が指摘されていることだけれども、抽迭が正しい表現と誤って理解してしまう人が増えてしまうことはポルノ小説の世界のためにはまったくならない(それはフランス書院も望んでいないはずだし、放置するのは正直、いくら女の羞恥心を扱う出版社とはいえ、恥ずべき固陋な失態である)ので、改めてnoteで記事にした次第です。

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