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ロリコンとかショタコンとか異世界にそぐわない言葉を使うことに対して

この手の話はぼくよりもずっと前からファンタジーを書かれてきた偉い先生が発言をされているんだけど、曰く、リアルの度合い言葉の問題があるんだよと。

・リアルの度合い
・言葉の問題

この2つがあるんだよと。

最初の「リアルの度合い」からいきます。

フィクションによってリアルの度合いが違うんです。額を銃弾で撃ち抜かれても絆創膏を貼って治しちゃう『Dr.スランプ』の世界と、脳漿が飛び散る『ゴルゴ13』の世界。リアルの度合いが違うでしょ? リアルじゃない世界(リアル度の低い世界)とリアルな世界(リアル度の高い世界)。リアル度における解像度が違う。

ファンタジーも同じ。なんちゃってから本格的まで、リアルの幅がある。JRPGベースのファンタジーは、中近世ヨーロッパベースのファンタジーよりも、リアルの度合いが低い(なんちゃって度が高い)。

だって、考えてごらん。辺境にでかい町があるわけないじゃん。でかい町がある時点で、それは辺境じゃなくて中核都市です。

辺境って、リアルでは農作物の収穫高が低くて、食っていくのが大変なエリアのことなんです。収穫高が高かったらどんどん人口が増えて、その辺境の町は中核都市に成長しちゃうんです。収穫高が低くて農作物が取れなくて、牧畜の商品と交換しないといけないような世界だから、「辺境」なわけです。そこにたくさん人が集まったって、その人たちの分の穀物は用意できないわけです。だから、リアルを突き詰めると、辺境って設定自体に違和感が出ちゃうんです。

そもそも冒険者ギルドだって、リアルで詰めると変なわけです。いったい団結して誰に対して何を要求しているんだっていう。そこのところが、超グレーなわけ。

JRPGって、内政とか組織という点に関してリアルの度合いが高くないわけです。リアルそのものの世界と比べるとザルなわけ。でも、ザルで悪いかっていうと、そういうわけじゃない。内政とか組織ってえぐいので、生(リアル)を見せられるとうんざりするんです。うんざりしちゃう人たちに対しては、敢えてザルにする(ドット絵のように解像度を下げる)ことによってうんざりする部分を見せないって側面がある。また、そこでリアルにしなかった分、別のところに物語のリソースをぶち込めるっていう。だいたいJRPGの目的は、リアル組織やリアル内政を描くことじゃないからね。全然中心じゃないのに、そこに創作リソースを大量にぶち込んでリアルに仕上げてどうすんの? っていうのはある。リアル度の高いところって、だいたい作品の中心に関わってくるところだから。物語の根幹に関わるところじゃないのに、リアルの解像度を上げても意味がない。

そもそもJRPGって、現代的インフラの上に中近世的ヨーロッパのガワを掛けた世界なんです。だから、風俗的にも現代のものが入ってくる可能性が高いわけ。その1つがロリコンだったりショコタンだったりするわけ。

とにかくファンタジーをつくる時って、どこまでリアルの度合いを高めるのかっていうのを、最初に設定するわけよ。全体的にリアル度低めでいくのか高めでいくのか、決めるわけ。超本格的ファンタジーだと、リアルの度合いが高いわけ。JRPGだと、本格的ファンタジーよりもリアルの度合いは低くなる。その上で、物語の根幹に関わるところはリアル度を上げる(リアル度の解像度を上げる)。

ちなみに『巨乳ファンタジー3』も『巨乳ファンタジー3if』もともに古代ローマ的世界なので、登場人物たちが近代哲学や現代思想ありきの世界で話をしないように注意しました。古代ローマの人がデカルト以後の考え方を披露しちゃうとか、現代思想の枠組みを利用して議論するって、おかしいもんね。なので、古代ローマの本を読んだり、アリストテレスの著作を読んだりして、できるだけ思考レベルを古代ローマレベルにアジャストして書いてました。たぶん、誰も気づいてないと思うけど。リアルを突き詰めるとこうなります。そしてあまり報われない(笑)。

ともあれ、ファンタジーには、リアル度の高いものから低いものがあるわけです。リアル度の高い世界では、何の説明もなくロリコンとかショタコンが入ってきちゃうと違和感がある。もちろん、じゃがいもが入っても違和感がある。ガラガラヘビがいても違和感がある。ブラジャーがあっても違和感がある。スマホやアップルウォッチがあると最高に違和感がある(笑)。近代国家誕生頃から本格的に整備された警察組織も、思い切り違和感がある。

逆にリアル度を下げている場合、現代の風俗――ロリコンとかショタコンが入ってくる可能性が高くなる。入ってもOKな、作品的包容力がある。

もちろん、受け手としては違和感が発生しやすいものはうまく料理してほしいなっていうのはあるけどね。近世ヨーロッパ的世界を舞台にした『巨乳ファンタジー』ではブラジャーが出てくるんだけど、ブラジャーの特許が出されたのって、確か1915年なんです。だから、本来はファンタジーにブラジャーは登場しないわけです。でも、エロ的にはブラジャーを出したいわけ。そこで知識を使ったんです。16世紀に、カップが2つあるというツーカップシステム自体は発明されている。広がらなかったけど、カップが2つあるブラジャーはつくられている。で、ブラジャーは、誕生当初(20世紀初頭)は高級品だったんです。お店にブラフィッターがいて、上流階級が高級店でブラジャーを試着していたわけです。その知識を得て、これだ! と。『巨乳ファンタジー』の世界でも、ブラジャーを買うのは王侯貴族などの上流階級だろうと。ブラジャーを発明したら、重要な貿易品目になるだろうと。それである人がブラジャーを発明して、それをその世界で手広く扱って儲けているって設定にしたんです。これだと、違和感が生じづらい。シャムシェルにもブラジャーをプレゼントできるし、プレゼントされた側も喜ぶ。

ただ、うまく料理できていない作品に対して「うまく料理しろよ、き~~っ!」ってなるのもね。わかるんだけどね。それ、しんどくないかなって心配になる(笑)。なんでもかんでも「リアル度は高くなければいけない!」って血眼になって見ちゃうと、それは受け手としては厳しすぎです。ってか、しんどくない?

全部のファンタジーが、リアル度が高めに設定されているわけじゃないんです。また作品の細部すべてがリアル度が高く設定されているわけでもないんです。

たとえば『風の谷のナウシカ』。結構リアルっぽい話なんですが、あれ、リアルで突き詰めると「あれれ?」っていう細部があるんです。足立孝先生が『辺境の生成』でスペインの話を書かれてるんだけど、辺境って、農作物があんまり取れないんですよ。だから牧畜をやって、チーズを売って穀物を買うわけです。それでも足りない。貧しいから、掠奪をするんです。辺境の人のなりわいって、牧畜と掠奪なんです。わかる? 掠奪

『風の谷のナウシカ』で、辺境にナウシカの王国があるけど、本来、あんな段々畑のところがめちゃめちゃ収穫高がいいはずがないんです。ナウシカの親父の部屋、高そうなタペストリーとか金銀の宝物があったと思うけど、辺境ではあんな財は集まらないわけ。農作物の収穫高、高いはずがないんです。どんどん土地が痩せていくはずなんです。あんな豊かにはならない。土地が痩せてて財が集まるのは、シルクロードの町、水があって交易の重要地点となるところくらいです。

物語では風の谷がトルメキアに襲撃されてかわいそうなことになっていましたが、リアルで考えると逆です。辺境での仕事は牧畜と掠奪だから、風の谷自体が掠奪に出掛けるほうが自然なんです。ミト爺とかがガンシップに乗って、トルメキアを襲ってね。トルメキアの民が「わぁぁっ、風の谷だぁっ!」って逃げてて。で、掠奪を終えてミト爺たちが帰ってきて、「姫様、たくさん取れましたぞ、うははは」って。

でも、そうはなってない。そこのリアルは切り捨ててあるか、日本は土地がヨーロッパより豊かなので、めっちゃ豊かな日本の土地のイメージでつくっちゃったかどっちかなんだろうけど、あそこの解像度は高くない。じゃあ、リアルにして風の谷が襲撃していることにすると、もう物語台無しです。ナウシカの世界が崩壊する。だから、リアルでは間違ってるんだけど、ナウシカではあれでいいわけです。ともあれ、どの部分をリアルにするかっていうのも、ファンタジーにはある

くり返します。

全部のファンタジーが、リアル度が高めに設定されているわけじゃないんです。また作品の細部すべてがリアル度が高く設定されているわけでもないんです。ただ、自分が「ここはリアルにしてほしい!」って部分があるわけ。そことバッティングしちゃう作品はあって、それに遭遇しちゃうのは不幸な出会いとしか言いようがない。

さて。

・リアルの度合い
・言葉の問題

のうち、「リアルの度合い」の話をしました。次は言葉の問題の話です。

異世界ファンタジーって、日本以外のどこかの国の話なわけです。正確に言うと、絶対日本語ではない国の話になるんです。その国の話を書いているわけだから、異世界ファンタジーは、日本語に翻訳した世界になるんです。

さて。

ロリコンに該当するものがその異世界にあったとして、それがVADELLWSAって言葉だったとして、その国の言葉で表現しますか?

言わないよね。その場合、どういう言葉にしようかっていう問題が出てくる。幼女嗜好? いや、それ、ロリコンじゃなくてペドフィリアだし、そもそもペドフィリアは少女限定じゃなくて少年少女問わずだろ。じゃ、どう表現する? ロリコンしかねえなあ……じゃあ、ロリコンでっ、ことになったりする。ショタコンも同じです。ショタコン以外に、読者に一発でわからせる言葉が見つからない。

ただ、これ、地の文だと比較的違和感が少ないんだけど、台詞に入ってると、途端に違和感がでかくなってしまう。たとえば『源氏物語』の現代日本語訳を読んでて「そちはロリコンじゃな」なんて台詞が出てきたらひっくり返るわけです。コミカルな感じの漫画版『源氏物語』なら「そちはロリコンじゃな」でも笑っちゃって受け入れられちゃうんだけど、真面目な小説だと「は?」ってなっちゃう。それが出ちゃう1つの例が「南無三」で。たま~に、

「南無三……!」

って唱えて飛び込んでいくキャラがいるんです。ほんとたまになんだけど、南無三って、仏教的な世界観の言葉なんです。キリスト教世界の言葉じゃないんです。かところがファンタジーは基本的に西欧的世界なので、ベースはキリスト教的な宗教世界になるわけです。リアルで言うと、その世界の住人が仏教的な言葉である「南無三」なんてことは言わない。違和感ばりばりです。でも、どの世界にも宗教はあるわけだから、その住人は何か宗教的な言葉を唱えるわけです。それをどう翻訳するのか。別の言葉で書く人もいれば、敢えて日本の宗教文化におとしこんで「南無三」ってやっちゃう人もいる。どういうふうに表現していくのかも、またファンタジーなわけです。そこに作家の個性がある。その個性に対して、合う/合わない、好き/嫌いは発生してしまう。

ファンタジーはなかなか間口が広いので、いろんなファンタジーがあります。なので、ファンタジーが好きなんだ、と言っても全部のファンタジーが自分に合うわけじゃない。

・リアルの度合い
・言葉の(翻訳的)問題

この2つの観点から見た時に、自分にマッチする作品、しない作品が出てきちゃう。読者って「おれはここをリアルにしてほしい」「こういう言語表現は嫌い」っていうのがあって、それと合わない作品、バッティングしちゃう作品って、絶対にあるし、そういう作品に遭遇する可能性は絶対あるわけです。それはしゃあない。でも、そういう合わない作品に出会う可能性があるっていうのは、それだけファンタジー作品が豊かって証拠でもあるんだけどね。ただ、読み手にとっては愉快ではない。特に、「おれはここをリアルにしてほしい」とか「こういう言語表現はいや」っていうのがはっきりしている人にとってはね。

そういう人は、もう、ああ、これは自分とは違う人たちを読者ターゲットにしているんだなって思うしかない。

ファンタジーだから、全部自分のためにつくられている、自分をターゲットにしていると思ったら大間違いです。月刊なかよしに連載している漫画は、決してサラリーマンをターゲットにはしていない。ライト文芸も、オタク男性をターゲットにしてはいない。ファンタジー読者にもいろんな人たちがいます。なんちゃってファンタジーが好きって人もいるし、本格ファンタジーが好きな人もいる。ファンタジーだから、自分のためにつくられているわけじゃない。

キ~ッ! って叫び声を上げながら「これは自分とは違う人に向けてつくってんのか」って思えばいいんじゃないの? ってぼくは思います。

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