コンテンツ文化史学会のポスターに突っ込むリテラシーのない人たち

コンテンツ文化史学会のポスターについて。
http://www.contentshistory.org/2014/11/11/1478/

学会のポスターに「ミニスカ」の女の子の絵を載せるなんて……! という声が上がっているらしい。だいたい、議題の「歴史認識」とまったく関係がないじゃないか、こういうところで性的なシグナルに無神経ってのはどうなんだ、といちゃもんをつけている馬鹿学者がいるらしい。

そう。
馬鹿学者である。

ほんと、リテラシーがないよね。
学者であるからには、「コンテンツ文化史学会」でいう「コンテンツ」がどういう意味か、調べたんだろうね?

コンテンツ文化史学会のサイトの説明にはこうある。

「アニメ・マンガ・ゲーム・映画・テレビ・音楽・ネットといった様々なコンテンツが、諸外国から大きな注目を浴びるほどの文化的成長を遂げています。」

テレビや音楽、ネットも入るけど、この場合、中心的なものとなっているのはアニメ、漫画、ゲームといった秋葉系コンテンツである。

秋葉系文化の代名詞である萌え絵を使って、どこに問題があるのかね?
ぼくが「馬鹿学者」と罵倒する理由である。秋葉系コンテンツを主に扱う学会のポスターに、秋葉系の絵柄。むしろ、ベストチョイスじゃないか。

にもかかわらず、批判する。ベストチョイスを批判する。

これって、あれよ。
お刺身関係のポスターでちょうどお魚をさばくシーンを使ったら、「残虐だからやめろ」っていちゃもんつけるのと同じよ。

学問というのは安易にサブカルチャー的な意匠を身にまとうべきではないという、つまらん見栄が見え隠れするね。

なんという高尚なくだらなさ。

学者なら、テリー・イーグルトンの『文学とは何か?』を読んで、文学を高尚なものに仕上げてしょうもないことを死守しようとしている連中へのイーグルトンの批判に触れて、その姿に自分たちの姿を重ねるぐらいの自己批判意識を持ちなさいよ。

萌え絵だからという理由で批判するようなアホなことをやってるから、文科省から「文系学部縮小するど~」みたいなことをやられるんだよ、と言いたくなるね。文学部縮小にはおれ、絶対反対だけどね。縮小するな、この野郎って思ってるけどね。

真面目な話。

「萌え絵だから」という理由だけで批判しているわけじゃない人がいることは知っている。

秋葉系文化というのは性的な欲望が盛り込まれていて、その性的な欲望が性的なシグナルとなって過剰に装われているというのは、その通りだと思う。『鏡裕之のゲームシナリオバイブル』でも、ぼくはオタク文化の性的な側面については指摘している。

秋葉系文化は、性的なシグナルが過剰に出ている。別の言葉で言えば、性的な欲望を喚起する装置が強く埋め込まれている。それは手提げ袋にも現れている。

が。

たとえばAV嬢のイベントやグラビアアイドルのイベントに行って、その女の子のビキニがプリントされた手提げバックを携行するってことはないわけで。でも、コミケや秋葉原に行くとキャラクター絵をプリントした手提げ袋を持っている子を見かけるのは決して珍しくないわけで。エロを見せびらかすことを衒エロ的というのなら、秋葉系文化に衒エロ的な部分という側面を見てとるのは、決して間違ってはいない。

でもね。

だから学術的なものでもそういう表紙は避けるべきだって論調はおかしいんじゃないの? その表紙を引っさげて町中を闊歩しようって話じゃないんだから。ほぼ会場の中、限定でしょ? なのに、けしからん?

エロティシズムというのは、裸体そのものにあるのではなく、それがどの場所に置かれているかで決まるというバタイユの基本的な主張を忘れてるでしょ?

にもかかわらず、批判。そこ、思い切り話がずれてるよね。

「なぜミニスカ……? 萌え絵がどれだけ性的シグナルを放ちすぎているのか、わからないのか?」と噛みつきたい人もいるみたいだけど、おれが逆に噛みつきたい。

なぜミニスカートにしたのか?

ミニスカートとハイソックスの間は、オタクの世界で言う「絶対領域」ではないか。コンテンツ文化史学会の表紙として、不適当なのか?

ぼくは妥当だと思うね。

それに今回のテーマは「歴史認識の齟齬」。歴史認識の齟齬って、つまり歴史認識の相対性を問題にしているわけよ。それをテーマにした大会の表紙に「絶対領域」。わはは、これはウィットだよな? そうだよな? って思っちゃって、一人で笑ってる。

さらに言うと。
今回のテーマは「歴史認識の齟齬」なわけでしょ? この歴史認識の齟齬と「萌え絵認識の齟齬」が重なっているという現状に、おれは皮肉と笑いを感じるね。ミニスカ少女の萌え絵。妥当じゃないか。

コンテンツ文化史学会のポスターにミケランジェロの彫刻を表紙に使う方が、おれはわけわからんと思うね。なんじゃ、そりゃって。その時こそ、最も突っ込むべきでしょ。

あるいは、歴史認識の齟齬という「相対性」をテーマに据えるのなら、ミニスカートとハイソックスの間という「絶対領域」をもっと画面いっぱいに出すべきだ、ヒロインの顔とかいらないから、画面いっぱいに「絶対領域」を出すべきだって批判なら、ぼくは妥当かなって思っちゃうけどね。

こういうところで自分の個人的な好みと狭っちい倫理観を、学問的な言葉で覆い隠して批判する人たちって、ポルノ作家としてほんと腹が立つね。萌え絵のポスターを批判して自分たちに卓越化(自分たちは他の者と違ってすばらしいんだ、と自分たちとそうでない人たちを区別し、際立たせようとする行為。ブルデューの『ディスタンクシオン』を参照)の魔法をかけようとしているのかもしれないけど、それ、魔法じゃなくて、他人からしたら低レベルなだけだから。ぼくはそういう学者は、軽蔑するね。逆に、秋葉系コンテンツに萌え絵を使うなんて、いいじゃないかって言う学者さんは、尊敬するね。

ちなみにぼくが表紙に文句をつけるとしたら、「なぜ巨乳じゃないんだ!」。それだけだよね(笑)。やっぱり、そういうオチかよ! ミラーマン!

 なお、もっと精緻な議論は「コンテンツ文化史学会のポスターにもの申す人たちに反論する」でやっているので、是非どうぞ。パノプティコンとも絡めています。

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