三角関数は情報資本主義時代には必要

 鹿児島県の伊藤祐一郎知事が、女子に対して「(三角関数の)サイン、コサイン、タンジェントを教えて何になるのか」「社会の事象とか植物の花とか草の名前を教えた方がいい」と発言して炎上している。

 鹿児島の知事だけに、今回の炎上は炎上と呼ばずに大噴火と呼ぼう。この知事、脳味噌には火山灰しかないらしい。鹿児島にはいっぱいいいものがあるのに、こんな炎上=大噴火をやってしまうとは、鹿児島に対してなんたる失礼な知事よ。鹿児島に知人のいる身としては、「何やっとんねん」という感じ。

 しかも、この知事、ラサール高校⇒東大出身である。我が母校も進学校だったけど、ラサールといえば、日本国内でも非常に名の知れた進学校。三角関数は当然知っているはずである。知っていながら、その価値を見出せぬとは……。

 世間では、「今は男女平等なのに……」と憤っている。男女平等の観点から知事を批判している。しかし、自分は別の観点から批判したい。時代の観点から、情報資本主義という時代の観点から、知事を批判したい。

 この知事、脳味噌が産業資本主義の段階で止まっている。今は情報資本主義である。産業資本主義から情報資本主義になると、

1.非常に知的生産性の高い労働が必要とされる
2.知的生産性の高さは、男女問わずに求められる

 産業資本主義の段階では、女性は男性のサブ的なものに位置づけられていた。また、時代は女性に対して主婦となって家庭を支えることを要求していた。

 だが、情報資本主義の時代では、男女ともに労働者となって高い生産性を発揮するように求められる。高い知的生産性には、高い知力や高い学力が必要とされる。その、高い学力の中に、三角関数も入っているのである。

 サイン、コサイン、タンジェントを知らないということ、すなわち三角関数知らないということは、高い学力が期待できないということである。それでは、高い知的生産性は望めない。今は女性であろうと男性であろうと、「サイン、コサイン、タンジェント」の知識が必要とされるのである。

 産業資本主義が華やかだったのは、19世紀である。この鹿児島の知事は、いったいいつの時代に生きているのだろうか? 21世紀なのに、この知事は19世紀的な価値観で生きている。19世紀的な価値観で生きている知事が出す処方箋が、果たして今の時代に有効性を持つのだろうか? そのような時代錯誤の政治家が県のトップに位置していいのだろうか? 

 時代を読めない政治家、時代錯誤の政治家はいらない。時代錯誤は、表現に対する態度でも見える。表現規制の必要を強く訴える政治家のほとんどは、19世紀的な価値観で生きている。 

 我々は21世紀に生きている。そして子供たちは、これからの21世紀を担っていく。19世紀的な価値観から生まれた処方箋は、21世紀に通用しない。19世紀的な価値観を持った政治家は、今の時代にはいらない。今という時代の価値観を持った政治家を選びたいものである。

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