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「ほとんどの時代で、大きなおっぱいが魅力的とされてきたのは事実」ではない

「ほとんどの時代で、大きなおっぱいが魅力的とされてきたのは事実です

 こんなガセネタがツイートされていた。
 地域名が記されていないが、我々が所属している文化圏、欧米や日本のことだろう。

 改めて、調べなおしてみた。

 20本以上巨乳フェチゲームをつくり、20冊以上巨乳フェチ小説を書いてきた巨乳の専門家として断言しよう。

 事実ではない。
「ほとんどの時代で魅力的」というのは嘘である。

 古代オリエントでは、巨乳がもてはやされていたのはわかっている。『旧約聖書』の雅歌には、こんな詩が収録されている。

「何と美しいのか、
 何と快いのか、
 愛よ、喜悦の娘よ。
 君のこの立っている姿は、
 なつめ椰子のようだ。
 君の乳房は、その実の房。」
(雅歌7章6-9節、『ルツ記 雅歌 コーヘレト記 哀歌 エステル記』岩波書店)

 君の乳房はなつめやしの実と言うくらいだから、相当の巨乳だったはず。それを賞揚しているということは、この頃のイスラエルでは巨乳は価値のあるものとされていた、ということである。BC1500年の古代クレタ文明でも、すばらしいお碗形の巨乳を誇る蛇女神の像が出土している。こんないいオッパイの女神像をつくっておいて、巨乳を低視していたはずがない。

 だが、ポリス期の古代ギリシアから少し変わりはじめる。この頃、善き乳房と悪しき乳房という区別が始まる。

 一方、古代エトルリアでは巨乳がもてはやされたようだが、エトルリアの遺産を受け継いだ古代ローマでは、巨乳は不格好なものとなる。1世紀頃の古代ローマの詩人マルティアリスはこう歌っている。

「汝、胸帯(ファスキア)よ、汝の女主人の
乳房が豊かにならぬように押さえよ、私の手
が一掴みで乳房を覆えるように」
(H・P・デュル『挑発する肉体』)

 豊かにならぬように、というのがポイント。垂れ下がって揺れる蛮族の乳房を、古代ローマ人は軽蔑したという。恐らく、ゲルマン人の巨乳を軽蔑したのだろう(ガリア人は巨乳ではなかった可能性が高い。フランス人は巨乳が決して多くない)。

 ただ、古代ローマ社会が中世西欧ほど巨乳を低視していたというわけではない。プリニウスだったか、最近の女たちが巨乳を目立たなくしようとしていると嘆いている。巨乳を隠すことを嘆く者がいたということは、巨乳が中世西欧ほどの低い価値的存在と看做されていなかったということである。引き締まってちゃんと整った巨乳なら、OKだったのだろう。きっと古代ローマ人は下垂形の乳房をいやがったに違いない。

 中世に入ると、西欧では中世キリスト教の影響により「善き乳房」と「悪しき乳房」の区別が進み、

貧乳&普通乳=善き乳房、貞淑の乳房
巨乳=悪しき乳房、悪しき肉欲の乳房

とされた。そこに階級が結び付けられて、

貧乳&普通乳=上流階級の乳房
巨乳=農民たち下層階級の乳房

とされた。

 中世の西欧キリスト教では、善悪の二元論がすでに取り込まれていた。その善悪の二元論に、精神と肉体が当てはめられていた。

精神=善
肉体=悪

 この二元論に、乳房の大きさが割り当てられてしまったのである。

 善悪二元論は、ゾロアスター教に始まる。ゾロアスター教の二元論は、元々「善なる霊」と「悪しき霊」というものだった。つまり、善悪は同じ霊的レベル、精神レベルのものであって、「精神=善」「肉体=悪」という区別ではなかった。だが、オルフェウス教で「精神=善」「肉体=悪」という区別が始まった。それがキリスト教にも流れ込んだのではないか、と推測している。

 絵画には、その時代の支配的価値観が見られる。中世の頃の絵画を追いかけると、ことごとく女性の胸がぺったんこである。描かれている女性は基本的に上流階級の女性。乳房は、性的ではないものとして描かれていた。中世西欧の支配的な価値観では、固く小さな乳房こそが賞揚すべきものであり、巨乳は悪徳の範疇に入るものだったのだ(巨乳好きがいなかったわけではないが、巨乳賛美は支配的な価値観のものではなかった)。

 乳房が性的な意味合いを帯びるようになるのは、ルネサンスである。ただ、ルネサンスが賞揚したのは、B~Cカップの普通乳だった。巨乳ではない。ルネサンスは巨乳の価値を高めたわけでも、巨乳を再評価したわけでもない。

 西欧絵画において、マイナスの意味合いではなくプラスの意味合いで巨乳が描かれるようになったのは、17世紀にオランダが覇権を握ってからである。オランダは巨乳女性が多く、絵画にも巨乳女性の健康的な姿が描かれたのだ。ちなみに、フランスの哲学者ディドロもオランダ女性の巨乳っぷりを聞いていたらしく、実際に目撃して驚嘆している。

 そして18世紀には、ちょうど始まった「自分のお乳で子供を育てよう」という母乳運動、乳母排斥運動の中で、巨乳が価値あるものとして西欧に浮上する。

 古代ローマは巨乳を価値なきものと見ていたわけではなく、下垂乳を価値なきものと見ていたので、その辺りの評価が難しいが、巨乳が魅力あるものと考えられてきたのは古代ローマまでと考えると、ローマ没後、17世紀までの1000年以上、西欧では巨乳は価値なきもの、魅力的ではないものと看做されてきたということになる。

 西欧において1000年もの間、巨乳が低視されてきたのに、「ほとんどの時代で、大きなおっぱいが魅力的とされてきたのは事実です」なんてことが言えるわけがない。それは20世紀後半の過去だけを見てでっちあげた、虚偽なのである。

 ちなみにブラジャーが発明されたのは19世紀末。ブラジャーが広まったのは、第一次世界大戦で女性が工場労働に駆り出されたのがきっかけである。巨乳復権が始まった17世紀には、ブラジャーは誕生していない。ブラジャーが巨乳の価値を高めたわけではない。

 参考までに、日本でも、巨乳の価値は決して高くなかった。『万葉集』の中で、「おれの彼女はぼんきゅぼん」という歌が見えるが、それ以降、ぼくは巨乳を賞揚する歌を見つけられていない。

 江戸時代にパイズリがあったことは知られているが、だからといって巨乳の価値が高かったわけではない。むしろ、低かった。理由は、日本人は巨乳というと乳腺質より脂肪質が多かったため、巨乳というと肥満女性がほとんどだったのだろう。そのため、「巨乳=肥満」⇒「あそこの締まりが悪い」というイメージができあがって、価値の低いものとされてしまったのではないか、と推測している。

 浮世絵には巨乳女性が描かれているものもあるが、女性器はすばらしいリアリズムで描かれているのに対して、乳房は結構簡素なラインで描かれている。あの描き方は、巨乳フェチの描き方ではない。

 ブラジャーが普及した50~60年代にかけて、日本において乳房の価値は上がったが、巨乳の価値は上がらなかった。

 日本で巨乳の価値が上がったのは、かとうれいこ&松坂季実子が登場して巨乳ムーブメントが誕生した、1989年以降である。

 84年から巨乳AV嬢の輩出は始まっており、マドンナメイト写真集(マドンナ社)やニューアイドル写真集(ピラミッド社)など、彼女たちの文庫サイズの写真集も出されたりしていたが、80年代前半の巨乳は際物扱いであった。巨乳の価値が一般的に高いものとして認められているわけでも、また、巨乳が大衆レベルで一般化していたわけでもなかった。巨乳アイドルたちも、巨乳を売りにはしていなかった。そもそも、バストのカップ表記も始まっていなかったのではないかと思う。巨乳アイドルが巨乳を売りに出さなかったのは、巨乳が売りになるという考えが一般には広まっていなかったからだろう。巨乳という言葉は85年にすでに生まれていたようだが、松坂季実子のブレイクとかとうれいこのブレイクにより、巨乳そのものと巨乳という言葉が一般化、巨乳は際物扱いされるレベルのものから、男女双方において商品価値のあるものとしてステイタスアップすることになったのである。

 1997年に発売された『若者ことば辞典』(米川明彦、東京堂出版)には、フーミンという俗語が紹介されている。

《〔細川ふみえの愛称「フーミン」から〕胸の大きい女性。〔類〕ガンボ、爆乳 〔反〕貧乳、そにゅう》。

 巨乳タレントがいかに一般化していたかを表す例である。そして彼女たちの出現は、巨乳女性の巨乳に対する意識を変化させた。
 1989年以前に思春期を迎えた巨乳女性は、巨乳を男性に対して商品価値のあるもの、男性に対してアピールになるものとして捉えることができなかった。それゆえ、ネットが始まってもプロフィールに「胸が大きいです」と書くことはなかった。だが、1989年以降に思春期を迎えた巨乳女性は、巨乳を商品価値のあるもの、すなわち男性に対するアピールとなるものとして捉え、ネットのプロフィールに「胸が大きいです」「Eカップです」と嬉々として書き記すようになる。

 さらに付け加えておくと、日本において、巨乳の価値が上がったからすぐ自動的に爆乳の価値が上がったわけではない。巨乳とはブラジャーでいえばE70以上、爆乳とはG75以上である。G75だと、ちょうどトップバストが100センチの計算になる。日本で爆乳の価値が上がるのは、2000年を待たなければならない。それまでは「巨乳はいいけど、爆乳は大きすぎる」「爆乳だと、(AVで見るように)デブ」というイメージが強かったのではないか、と思っている。だが、夏目理緒とイエローキャブの100センチ級の爆乳タレントたちの活躍により、爆乳も価値のあるもの、商品価値のあるものとしてステイタスアップすることになった

 というわけで、「ほとんどの時代で、大きなおっぱいが魅力的とされてきたのは事実」というのは大嘘である。信じないように。

●追記

 もっと詳しい巨乳史については、「チチダス2009」をご覧ください。Waffleさんの『巨乳ファンタジー』を購入してアンケートに答えると、もれなくダウンロードできます。

●補記

雅歌のなつめ椰子について、「ナツメヤシの実はデーツなので乳房と比較するとかなり小さい」という指摘があった。その指摘について。

『旧約聖書13 ルツ記 雅歌 コーヘレト書 哀歌 エステル記』(岩波書店、p50)には、なつめ椰子の注釈としてこう記されている。

《古代オリエントでは、なつめ椰子(タマル)は生命の樹のイメージと結合していた。すっくと立つ細い幹と、それと比較して大きく豊かな実の房が、女性の身体に喩えられる。実は非常に甘い》

 つまり、脚注の説明によると、

細い幹=女性の細い体幹
大きく豊かな実の房=乳房

 のようにイメージされていることがわかる。雅歌中の「なつめ椰子」は、巨乳を表すものとして使われているということである。

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