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夏油傑について

 初投稿。
 そもそもなぜこのような記事を書こうと思ったのかというところから少し語りたい。タイトルでわかる通り、本記事は『呪術廻戦』(作:芥見下々)にて登場するキャラクター、夏油傑についての私見を述べるものである。

 既にご存知の方も多いだろうが、現在『週刊少年ジャンプ』に掲載されている『呪術廻戦』では第236話にて人気キャラクターである五条悟が"史上最強の術師"両面宿儺との戦いに敗れ、死亡した。この2人の対決は作中でも「現代最強の術師vs史上最強の術師」と銘打たれている、いわば頂上決戦であり、バトル漫画としては最も盛り上がる展開となる。だが、その結末は賛否が分かれるものとなった。人気キャラクターの死ということもあり、五条が死亡した第236話が公開された日はTwitter上でその話題が常にトレンドに載っており、それから約3ヶ月が経過した今でも、SNS上では様々な意見を目にする。そうした感想の数々に触発されて、私も記事を書くことにした次第である。

 しかし、五条悟を語る上で決して避けて通れない存在がいる。それこそが彼の無二の親友、夏油傑だ。五条悟の結末についての記事を書く以上、どうしても夏油傑の結末にも触れなくてはならない。そのため前半では夏油、後半では五条について語るものとする。それに伴い文字数も相当多くなってしまうが、お時間のある方は暇つぶしにでも呼んでもらえればありがたい。

夏油傑と親友

 夏油傑の経歴について、この記事を開く人に今更詳しく説明する必要はないだろう。高専時代の五条悟の親友であり、その後高専から離反、そこから10年後に大規模なテロを起こすものの乙骨憂太に敗れ、最終的に五条に処断された。

 そんな彼はどんな人物だったのか。高専時代の夏油は、いわゆるノブレス・オブリージュを掲げる極めて高い倫理観の持ち主であり、「強者たる術師は弱者である非術師を救うためにその力を使わなければならない」という責務を自身に課し、また他人にも説いていた。

 翻って五条の方は夏油とは対照的に、力を振るうことに理由や目的は持っておらず、強者としての責任といったものはまるで意識してしない。

『呪術廻戦』8巻 84、85ページ

 このように正反対の思想を持ち、時にはそれが原因で喧嘩をすることもあった2人がなぜ親友として傍に居られたのか。五条の側は夏油をどう思っていたのかは後半の記事で書くとして、夏油の側の心情について語りたい。

 夏油は五条のことを「自分の手で導かなければならない存在」とみなしていたのではないだろうか。

 夏油と袂を分かつまでの五条には精神年齢の幼稚さが見て取れる。補助監督の人間を置き去りにした挙句帳を下ろし忘れるといった行動はもはや小学生レベルではないだろうか。歌姫らのことが心配で一刻も早く助けたかったということであれば理解もできるが、確実にそのような心境ではなかっただろう。

 そしてその幼稚さは間違いなくその実力の高さと彼を取り巻いていた特殊な環境に起因するものだと考えられる。

 数百年ぶりに生まれた無下限呪術と六眼を併せ持つ、現代において最強となれる資質を持った子供。周囲の大人はおろか腕の立つ術師や国家暴力でも彼には敵わない。さらに五条家はそんな彼を甘やかして育てたということも公式から語られている。デジモンを知っているので完全に世俗から隔絶されていたわけではないだろうが、箱入りで蝶よ花よと育てられてきたことは想像に難くない。そのようなバックボーンであれば、誰だって精神的な成長を遂げるのは難しい。当時の五条は、まさに大人顔負けの力を持った、ただの子供だった。

 そんな五条を近くで見た夏油はどのように考えるか。答えは簡単で、「自分が彼に道を示さなければならない」となる。

 高専に入ってからは五条が身を置く環境は一般的なものに近くなっただろう。夜蛾は五条を名家の生まれで類稀な才能を持っているからと言って顔色を窺ったり腫物のように扱うことはせず、教師らしく指導をしていた。硝子も同様に、それまで五条の周囲にいた人間の大多数とは異なり、正しく友人と言える関係だっただろう。だが、この二人でもまだ五条に寄り添い、彼に道を示すには至らない。夜蛾は大人の教師であり、年齢も立場も五条とは違う。硝子に関しては、この年代であれば性差は無視できない溝になるだろう。そして何より、二人は実力の面から言って五条と対等ではない。夏油以上に五条悟に近しくなれる人間はほかにいなかったのだ。

 前述の通り夏油は力を持たない非術師を守るべき対象と見なすような人物だ。そんな彼にとって非力ではない五条は守るべき対象ではないだろうが、その道徳や倫理観が欠如している様を目の当たりにすれば、そして前述のとおり、彼の心に最も近づくことができるのが自分であると悟ったのならば、自分の手で彼を導かなければならないと考えるのが自然ではないだろうか。実際、上記の2人のやり取りでも夏油は最初五条に対して教え諭すような話し方をしている。

 このように、夏油は自身が五条にとって不可欠な存在であると認識し、そこに自身の存在の「意味」を見出していたのだろう。そしてその認識の根幹を支えていたのは、自分が唯一五条と対等であるという現実だった。しかし、この現実は実際にはただの思い込みだった。

 禪院甚爾との戦闘を通して覚醒した五条は、唯一対等だった夏油すら突き放して強くなり続けた。夏油はこの事実に絶望しただろう。夏油傑だけが五条悟と対等であり、だからこそ自分は彼の親友となり五条に道を示すことができると思っていたが、それは間違いだと突き付けられた。

『呪術廻戦』 13巻  122ページ

 夏油は美々菜々に五条について聞かれた際に「親友だった」と語っている。過去形である。実際は五条は最初から最後まで親友だと思っていたが、夏油本人はもう自分を五条の親友だと思えなくなっていた。

 夏油は五条と対等でいられなくなったとき、五条の親友であるというアイデンティティを失っていたのだ。

夏油傑と「意味」

 夏油を語る上で五条悟との関係のほかに、もう一つ重要な要素がある。それは彼が語る「意味」だ。夏油は五条に対し、「人間、特に術師にとって意味は重要なものである」旨を述べている。

『呪術廻戦』 9巻  112ページ

 彼の言う「意味」とはその人間の果たすべき責務や使命、または存在意義のようなものであり、またその責務を果たすことに寄与する、一つ一つの行動の影響を指す。

 高専時代の夏油にとって、自身の「意味」とは、「五条悟の親友でいること」と「非術師を守ること」だった。前者が夏油傑個人の意味であり、後者が術師としての夏油の意味といえるだろう。

 対して、高専離反後はどうだろうか。この時の彼は既に五条の傍を離れてしまっており、また「非術師を守る」という使命は「呪霊の生まれない世界をつくり、また優れた存在である術師が劣等種である非術師への適応を強いられる間違った社会を変える」というものに変わっており、それを自身では大義と語っている。方向性は高専時代と真逆だが、これこそがその後の彼の礎たる「意味」なのだろう。

 しかし、これは本当に大義だったのだろうか。善悪の話ではなく、夏油自身がこの目的を意味のあるものだと信じることができたのか、本人の意思で選びとった生き方なのか。結論から言えばNoである。例えば、離反後の夏油は非術師と接した直後に除菌・消臭スプレーを自身に吹きかけているが、高専時代はあれだけ意味に拘っていた男がこのような中身のない形だけの行動をすること自体、本当は自分の理想を信じきれていないことの証左だろう。ファンブックにて作者が「離反後の夏油は『非術師は嫌い』と自分に言い聞かせていた」と発言していたが、このことからも夏油は望んでその道を選んだわけではないことがわかる。

 ではなぜ彼は望まない道に進んでしまったのかと言えば、先述の通り彼が術師としての責任というものに対してストイックだったことが原因だ。天内理子の一件で夏油は「非術師を守る」という使命が正しいものかわからなくなりつつあった。天元と一体化するという残酷な運命を科されていた子供は、その役割がゆえに命を狙われ、最終的に殺されてしまった。いわば彼女は社会と人々のために犠牲になったにも拘わらず、その死を喜ぶ非術師たち。そして大多数の人間は彼女の死など知らずにのうのうと生き続ける。そのような現実を目の当たりにすれば、まだ10代に過ぎない夏油の信念が揺らぐのも無理からぬことだろう。

 だが、それならば術師として人々のために戦うことをやめ、隠遁すれば済む話だ。しかしそれまで明確に信念を持ち、それに従って生き方をしてきた彼にはそれを投げ捨てて逃げることは簡単にはできなかった。そうして揺らぐ信念を必死に立て直そうとしているところに五条と対等でいられなくなったことへの絶望、呪霊を大量に取り込むストレスが重なって限界を迎えた彼は、再び非術師の醜悪を目撃した際に突発的に村の住人を殺してしまった。

 その後は惨憺たる有り様だ。それまで自他に対して厳しく「意味」を課してきた夏油にとって、衝動に任せて人を殺すなど許されない。この行いは何らかの崇高な理念に基づいていなければならないと考え、九十九の言った「非術師がいなければ呪霊は生まれない」という都合のいいお題目に飛びついた。そして真っ先に両親を殺すことで「自分は信念を徹底できる人間であり、家族すら手にかけられるのだからこれは自分の意思で選びとった生き方だ」と思い込もうとした。

 夏油の悲惨な点はこれだけではない。離反後の彼が着ている袈裟が「五条袈裟」であることが作者から明かされたが、この話を聞いたときにはあまりの皮肉っぷりに笑みすら漏れてしまった。夏油は五条に対し、「五条悟なら非術師を皆殺しにすることも可能だ。自分が君になれるのならば、この荒唐無稽な理想も現実にできる」という旨の発言をしている。

『呪術廻戦』 9巻  158ページ

 そしてその言葉の通り、まるで五条悟たらんとするかのように彼と同じ名がつけられた衣服を纏うのだ。彼を偶像やシンボルのように扱うこの行動は、かつて共に肩を並べた対等な親友からは程遠いものだろう。

 あるいは彼は、五条の奔放さにもあこがれていたのかもしれない。自分は力を持つがゆえに信念を持ち、信念を持つがゆえに苦しみ、屈折し、現在進行形で必死に自分をだまし続けているのに、自分以上の力を持つ五条はそれに伴う責任など考えておらず、気ままに自分の力を楽しんでいるのだ。そこには嫉妬やあこがれを覚えていても不思議ではないだろう。

 夏油傑という男は、その強い責任感から誰かのためを考えられる高潔な人物だったが、その高潔さゆえに意味や責任に雁字搦めになり、人生において最も輝かしい時間であった青春を失うこととなった。彼の人生は時として正が負に反転し、「呪い」となることをよく表しているだろう。


夏油傑の結末

 そんな夏油は最後は五条の手で殺されることとなる。このとき五条が最後に投げかけた言葉は明かされておらず、残念ながら私にはこれを考察するような能力もない。だが「最期くらい呪いの言葉を吐けよ」というセリフから、きっと彼が自分にかけた呪いを解くような言葉だったのだと思う。つまり、夏油に青春時代を思い出させるような、自分は今でも五条悟の親友なのだと理解させられるような。きっと最後の最後で二人はあの時の関係に戻れたのだと信じたい。



蛇足
ここまでで半分である。長かった。五条悟の結末について語りたいと思って始めたのにまだ五条の話題に入っていない。後半は成人の日までには投稿したいなと思っているので、そちらも読んでいただければ幸いです。

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