一流選手とのこの違いは何なのか?

私は中学時代、バスケットボールをしていました。
自ら望んだのではありません。
そもそも運動のセンスが高かったわけではないのです。
身長が中一で178センチあったからで、目立ったのです。
それで強引にスカウトされたのです。
と言うか拉致されたんです。

もちろん、身長の影響で、歩幅もありましたから、そのお陰で、徒競走も比較的に早く、
学校代表のリレーの選手にもなりました。
で、バスケットのバの字も分からずにバスケットを始めてしまったのですが、苦しい練習を私は真面目に頑張りました。
繰り返し、繰り返し練習しました。
自宅にリングまで作ってもらって夜遅くまで練習しました。
お陰でシュートの成功率は高まりました。
友だちからは、コンピューター付きのランナーだと言われるまでに。

しかし、私は大きな壁にぶつかりました。
単純に練習量を増やしてシュートの成功率を上げるだけでは超えられない壁です。
当時、先輩たちの中には、県の代表にもなれるだろうと言われる一流のプレイヤーもいたのです。
その先輩たちとプレーをしました。
その時、強烈な衝撃が走ったのを覚えています。
ボールが思いもよらない方向から飛んで来るのです。
また、予想もしない方向に走っていくのです。
そして、そこにパスを出すことを求められるのです。
当然、怒鳴られました。
まるでネイティブの英国人たちの中に入り込んだ、日本の子どものようだったのです。

チンプンカンプンで、相手のプレーの意味が分からないというより、コミュニケーションが全く取れないのです。

しばらく頭を冷やしてから、冷静に先輩たちのプレーを眺めてみました。
すると、分かってきたことがあります。
先輩たちは、試合全体が見渡せているのです。
それに対して、私はボールしか見えていないのです。

これは後から気が付いたのですが、サッカーの中田選手が、まるでアタマのてっぺんに目がついているように、高いところからコート全体を見渡せる能力をもっているかのような能力です。
そして、この能力があるかどうかが、一流と二流を分ける違いだってことも。

#教えられたことはできる人 、教えられないこともできる人 の違い

サッカーやバスケットのプレーの違いだけではありません。
一般社会でも同じです。プレーを一段高いところから観ることができる人というのは、
つまり、簡単に言えば「教えられたことはできる人」と「今まで見たこともない問題も解ける人」の違いです。
これはどこから来ているのでしょう。
別な言葉で言えば、「高い視点をもてるかどうか」
苫米地博士流に言えば、「抽象度が高い」世界を持てるかどうかなのでしょう。

博士の言葉を借りますと、IQというのは、抽象度の高い宇宙に対して身体性を持って操作できるかどうか、という能力ということになります。

たとえば実際には存在していない虚数の空間をまるで存在しているかのように、指や身体で感じて、臨場感を持って話をできるかどうかの違いだそうです。

つまり、目の前の具体的なボールの位置とか、相手の突然の動きに引きずられないで戦略を考えられるかということです。
実は、一流プレイヤーが演じている世界はリアルの現実世界ではないのでしょう。
映画と同じ、仮想世界に入っているのです。
その仮想世界でいて、なおかつ臨場感をもって戦略的に動いているのです。

これには深いリラックスが必要です。
リラックスをしながら超集中をするのです。

これについては次回書きます。



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