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その気遣いは本当に私の為か?【2020年4月10日】

【心臓の弱い方はご遠慮ください】や

【食事中の方ごめんなさい】や

【※グロ注意※】など。

おやめください。想像してしまいます。

【はじめに】世の気遣い

世の中には、こちらを気遣ってメディアに注意札を立ててくださる丁寧なお方がたくさんいる。私もそのおかげで強いショックを予期して”いなす”ことができたのは一度ではない。

ただ、そういう「注意書き」は何が来るのかを予期=想起させる。

もう想像させてしまっている時点でダメなのだ。終わりなのだ。

【本文】絶望の”点”と”面”

まず、注意がなければ私はどうなるか。
それは、いきなりの嫌悪対象に釘を打ち込まれるように、”点”で深くショックを与える。いたそう。これはひどい。

次に注意喚起があったときはどうだ。

注意喚起が私に予想、想像をさせる。
すると私のなかには「そういう」注意候補が複数浮かび上がる。それらはどれも私の天敵ばかりだ。来ないでほしい。私の目にはそういうものがばっちり焼き付く。観ているのも同然だ。
また、こういった場合、見ているメディアの流れから何が来るか予想してしまい、そこから類似するものをつなげる。そして人間は強烈な印象を持つものほど想起してしまう。つまり一番来てほしくないものを思いだす。それぞれのイメージがつながって協力して私をころす。

故に、注意喚起があると、「面」で且つ深くダメージをいれられる。これは手厳しい。


【終点】「【※【閲覧注意】注意※】」

これには【閲覧注意】に閲覧注意を出すしかあるまい。

しかし、その場合は知りうるすべての【閲覧注意】を想起してしまって、
自身の発揮できる最大ダメージを繰りだす可能性がある。
これはもう詰みだなこりゃ。

そもそも【閲覧注意】が建てられるのは、「ここから先は自己責任で見てねー」という責任の転嫁によるものだ。いや転嫁もなにも確かに自己責任であるのだが。なんか”逃げ”の臭いがして好きじゃないんだよなー。

試しに押しても罰は当たらないはずです。知りませんけど。