自然の水の結晶(掌編小説)

α星に知的生命体が存在することが分かって、交信が可能になって数年が経った。地球とα星の関係は良好で、いよいよα星からの外交使節団が来星することになった。
私は地球の科学者を代表して、α星との違いを説明する役目を仰せつかった。

彼らとは電波を通じてやりとりを進めており、この数年の学習で自動翻訳機が完成した。但し、お互いの星にそもそも存在しない概念が会話に現れると、アラームが鳴るようになっている。私の役目は、科学者代表としてその新しい概念を説明することにあった。

宇宙船を降り立ったα星人の見た目は、驚くことに地球のヒト種となんら変わりなかった。私は使節団の一人に目を奪われた。整った顔立ち、すっと透き通った鼻、くりくりとした目、つつましやかな笑顔。事前のやりとりで、α星人にもオスメスの概念があるらしいことは知っている。彼女は私に近づくと、おそらく事前に覚えたのであろう握手を求めてきた。
「こんにちは。お会いできて光栄です。私のことはエルとおよびください」
彼女の声を真似た自動翻訳機は、本人から一歩遅れてそう伝えた。私は握手に応えて彼女の手を優しく握った。
「こちらこそ、お会いできるのを楽しみにしておりました。科学者代表のカズマです。ようこそ地球へ」
彼女は自動翻訳機の調子を確かめると、私にもう一度微笑みかけた。

彼女はα星の科学者代表らしい。専門は系外惑星化学だそうで、まずは地球に存在する物質の組成を知りたいとのことだった。
まず会議室に呼んで、彼女をはじめとした使節団科学部と話をした。地球で産出される鉱物について説明していると、彼女はモニタを眺めながらこのように言った。
「この惑星の大半を占める青い部分は何か」
会議室にいた地球人三名が顔を見合わせると、私が代表して答えた。
「これは海というものだ」
そういうと、自動翻訳機のアラームが鳴り、英語で次のように答えた。
『海という単語は辞書にありません』
我々地球人はとても驚いた。よくよく聞いてみると、α星において液体の水は存在するが、こんな莫大な量は持っていないらしい。確かに、事前調査で水の存在は確認していたが、量まではわからなかった。
話を聴くうちに、α星において水というものは「そこそこ希少な溶媒」として扱われているらしいということが分かった。水蒸気とか液体の水とか、氷という概念は知っているらしい。しかしそれこそ、湯水のように使うことや雨あられと降ってくることはないのだそうだ。
「会議なんかやめて行ってみるか?海」
地球人のメンバーがそう提案した。
「いいっすね。でも今日はやめときましょうよ。寒いし」
「だな。予報では雪が降るそうだ」
私がそう答えると、またアラームが鳴った。
『雪という単語は辞書にありません』
私は思わず「えっ」と声を出した。他のメンバーは当然だろうという反応だったが、私は非常に心が躍っていた。
「『雪』を見てみませんか」
私はそう提案した。
「それはいくらなんでも資源にならないだろう」
「いや、よく聞いてください。地球では、寒冷期になると、H2Oの美しい結晶が空から降ってくるのです」
α星の代表団は顔を見合わせた。エルが彼らを代表して質問した。
「空に結晶の精製工場があるのですか」
我々は全員で手を振って否定した。
「違うのです。雪は飽くまでも自然生成物なのです」
α星の代表団は顔を見合わせて何やら話し始めた。
「それはぜひ見てみたい」
エルが真剣な表情で私に語り掛けた。私は地球の代表団に目配せすると、全員が納得したようだった。
「喜んでお見せします。予報によると、約一時間後に300キロ先の地点で雪が降るようです。そこで雪を観測しましょう」
エルはα星の喜びの声を上げると、無邪気な顔をして私の手を取った。

使節団科学部と我々は、宇宙センターから300キロ先の地点に高速鉄道で向かった。30分ほどの時間では高速鉄道の原理について説明しきれなかったが、これはまた時間のある時に資料を送ればよいだろう。
我々はバスに乗り換え、寒空の中で山のふもとに佇んでいた。気象情報によると、ちょうど雪が降り始める時刻だった。
エルは特に寒そうにもせず、澄んだ目でじっと空を眺めていた。
そうしているうち、彼女は何かを見つけたらしい。
「何か落ちてくる!」
ちらほらと、H2Oの結晶が舞い降りてくる。エルはその一片を左手の手のひらで受け止めた。
「これが『SNOW』ですか?」
エルはゆっくりと私の方を向くと、好奇心を抑えきれない様子でそう訊ねた。
「そうです。これが雪です。地球では、寒冷期になるとこのような結晶が降ってくるのですよ」
「これが、自然物?」
「そうです」
エルはとても不思議そうにそれを眺め、そして何かを思いついて使節団のメンバーからルーペを借りた。
まじまじとその結晶を眺めると、エルはその精巧さに驚き、まるで美術品を眺めるようにうっとりとした表情を浮かべた。
「正確な六角形をしている。工芸品みたい。こんな美しいものが、空から落ちてくるのですか」
「そうです。きれいな星でしょう?」
エルは私の方を向くと、満面の笑みを浮かべて強く頷いた。そうして上を見ると、エルは空からたくさんの雪片が降ってくるのに気づいた。彼女はまるで初めて雪を見た猫のように、舞い降りる切片をつかもうと飛び跳ねていた。

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