悪魔崇拝とは独裁主義信仰である

悪魔崇拝とは何か。
これは聖書のヨハネの黙示録13章に登場する666の数字で表わされる「獣」を崇拝するものである。

ヨハネの黙示録は聖書の中でも歴史書ではなく、未来の予言書である。
それは人間という欲を持つ存在の中から、必ず独裁者が誕生し得ることを予言している。
それを聖書は独裁者の事を666と言う数字で表現する。

666は技術/テクノロジーという「天使の贈り物」をもって人間社会に近づいてくる。
技術と言うのは素晴らしい者なので、666は神のような素晴らしい存在に見えるが、実は絶対に神にはなれない「獣/ビースト」のような人間であり、独裁者であると記されている。

つまり、666は悪魔の数字と言われるとともに、独裁者を表すのだ。

これから起因して、悪魔崇拝とは独裁主義崇拝と完全に結びつくのだ。
グローバリストたちは共産主義を世界中に広めることで、世界全体を独裁支配することを目指している。
グローバリストたちは聖書で記された666の独裁者に自らがなることを目標とするために666を崇拝する。
666を崇拝するというのが正に、悪魔崇拝となるわけだ。

「悪魔崇拝者」というのは、こういった背景のもとに存在する。
お花畑に住む日本人の多くは、「悪魔を崇拝する人間なんていない。陰謀論だ。」として悪魔崇拝者など存在しないと笑い飛ばす。
それはあまりにも世間知らずと言わざるを得ない。
「悪魔崇拝者」とは単に「独裁主義志向者」というだけのことなのだ。

世界全体を共産主義にすることを、共産主義と言う言葉は印象が悪いために、グローバリスト/グローバル全体主義者たちは、共産主義と言わずに、社会主義、新資本主義、ニューワールドオーダーなどと表現する。
だが、その中身は全て独裁主義であり悪魔崇拝なのだ。

ただ、想像してみてほしい。
「我々は悪魔を崇拝する、悪魔崇拝者だ」と薄気味悪く笑う者たちを。
実際に悪魔崇拝者は人間を堕落させて馬鹿にさせて、酒や性欲や麻薬に溺れることを良しとする。
酒や性欲や麻薬に溺れて人間として堕落することで悪魔が喜ぶという信仰なのだ。

だが、よくよくわれわれの生活を振り返ってみてほしい。
酒を浴びるように飲んで酒に依存したりする人はいるし、重度の依存症になる人もいる。
重度の依存症になって、正常な状態ではなくなるのは性欲や薬物でも起こる。

悪魔崇拝者たちは実際に、多くの人間が酒や性欲や薬物に重度に依存することを喜び、むしろそうなるように仕向けている。
人間はこういったものに重度に依存するようになると、正常な思考ができなくなり、支配されやすくなる。
大多数の人間が支配されやすい状態になれば、独裁主義者にとってはとても好都合なのである。

こういった悪魔崇拝者たちの悪趣味は一見理解不能に思えるものの、その目的を理解すれば、とても合理的なものだと理解できるだろう。

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