目くそ鼻くそを笑うシリーズ:開講のお知らせ

人は皆、自分は他人より優れていると思いたがる。
自分はいつも、「平均よりは上である」と思いたがる。
自動車を運転するドライバーに「あなたは平均的なドライバーよりも運転が上手い方だと思いますか?」というアンケートを取ると必ず、7割以上の人が「はい」と答える。
通常、平均点あたりの人はたくさん集中していて、それよりも上、つまり、「平均点より上」の人は2割か3割しかいないはずだが、その2割か3割に入っていると思っている人が、なんと7割もいるという結果を表している。

人間は物事を見るときに必ず自分に都合の良いフィルターを通してみる。
例えば、自分を含めて批判されていたとしても、自分は批判の対象ではないと思ったりする。
「公道を歩くときにマナーの悪い人が増えた」と言われると、「自分はマナーの悪い人の中には入らない」と頭の中で処理した上で「(自分は入らないが)マナーの悪い人が増えた!けしからん!」と思うわけだ。
そして、恐ろしいことに、具体的に批判されていることを自分がしてしまっているにも関わらず、殆どの人が棚にあげてしまうのだ。

こういう話をすると、ざっくり分けて年配の人は「昔は皆、礼儀正しかった!最近の若者はなってない!」と言い、若い層の人は「昔話ばかりして、年寄りは鬱陶しい。昔は良かったかどうか知らないが、あなたたちは今、全く礼儀正しくないではないか!」という。
筆者は両方の立場を同時に体験したことがないのでわからないが、ほぼ確実に皆、自分たちの事は美化して評価しているに違いない。
つまり、年配の人は自分たちの価値を美化して若い人たちにマウンティングをして若い人たちを馬鹿にしている。
一方で若い人たちは年配の人たちの年寄り臭い説教を聞きたくない。
要は、「どっちもどっち」なのだ。

そして人は他人を馬鹿にして優越感を感じて満足する。
そうして目の前にある問題に目をつむる。
臭いものには蓋をし、においを隠す香水を振りまいて、自分がいかに臭くなっても、既に気付かないほど鈍感になっている。
そういった自戒の念を込めて、先日、「目くそが鼻くそを笑える時代が来た」という記事を書いたが、これがなかなか一部で好評だったようだ。

大手メディアは世の中の本質的な問題を提起して改善を促すということはせず、「目くそが鼻くそを笑う対立構造」を作って、われわれから世の中の本当の問題を隠蔽する。
そのような危険性を面白おかしく指摘するシリーズとして、「目くそ鼻くそを笑うシリーズ」を初めていきたいと思う。
そのような見方をすることで、社会の問題を振り返る目をつけ、自らの行動を正す人が増えることを願っている。
人間の基本は「人の振り見て我が振り直せ」なのだ。

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