アメリカ連邦最高裁の中絶判決から学ぶ憲法と裁判所の大切さについて

今週、アメリカの連邦最高裁が中絶の権利に関する判決を変える判例を出したことが世界中で話題を呼んだ。

筆者が日頃、大手メディアがいかにフェイクニュースを垂れ流しているかを指摘させていただいているが、このアメリカ連邦最高裁の判決に関しても、フェイクニュースが垂れ流されており、一体何が問題となっているのか、特にアメリカ人の中絶に対する宗教観などを含めて日本人には一般的に理解が難しいので、そのあたりも含めて解説したいと思う。

アメリカではこれまで、全米で中絶が合法であった。
つまり、妊娠している女性が中絶するかどうかを選ぶ権利があったのだ。
これは、1970年代にアメリカの連邦最高裁が「女性の中絶する権利を容認する」とする判決を出したためだ。
これによって、これまでアメリカでは人工妊娠中絶を行う権利が女性に与えられていたといえる。
だが、これは逆に、母親のお腹に命を宿した胎児が生きる権利を奪われるともいえるのだ。
アメリカではいわゆる保守層と言われる者たちの多くが、胎児の生きる権利を奪わせる人工妊娠中絶に反対していたわけだ。

お分かりだろうか。
中絶する権利を認めれば、胎児が生きる権利が害される。
一方で、中絶する権利を認めなければ、胎児が生きる権利が認められる。

これは、どちらのどの権利を認めるかという、非常に難しい問題であり、アメリカではずっと議論となっているのだ。

そして、今週、アメリカの連邦最高裁は1970年代の判例を覆し、「中絶の判断は各州での判断に委ねる」という判決を下したのだ。
この意味が理解できるだろうか?
アメリカという国が合衆国という形態をとっており、アメリカの52州はいわば、日本人の感覚で言えば52の国でできており、52の国が「アメリカ合衆国」という一つの大きな国に束ねられて、「アメリカ合衆国」を国として運営されている。
これまで、アメリカ合衆国がアメリカの52の州すべてに「中絶を合法化にしろ。例外は認めない。」としていたのに対して、今週の連邦最高裁は、「52の州それぞれで、中絶を合法化するか、禁止するかを自分たちで決めてください」という判決を下したのだ。

とてもややこしいので、さらに一言で言うと、アメリカ合衆国が52の各州に対して、「これまでは中絶は絶対に合法化しろと連邦政府から命令していましたが、これからは各州のみなさんで決めてください」という判決が連邦最高裁から出されたのだ。
これを大手メディアは「女性の中絶する人権を奪った!人類史上最大最悪の判決だ!」と騒いでいる。
もう一度言う、連邦最高裁判所は「今までは『中絶は合法』としろとしてましたが、今後は『中絶を合法とするか、非合法とするかは、各州で自由に決める』こととしてください」と判断したのだ。
大手メディアが何故フェイクニュースといわれるのか、お分かりだろうか。

アメリカでは「中絶を非合法にしてほしい」と望む州も多いのだ。
しかし、この連邦最高裁判決が出るまでは、「絶対に中絶を合法にしろ」とされていたのだ。
アメリカの52の各州は原則、日本人の感覚で言う国であり、各州が自分たちで自分たちの州のルールを決めるというのが大原則なのだ。
その大原則を例外的に、1970年代の連邦最高裁の判決によって、中絶に関する決定権が各州から奪われていたのだ。

本来のアメリカの憲法の理念からすれば、中絶に関する権利も各州が自主的に決定するのがアメリカの理念である。
憲法に沿ったルール運営がなされてこなかったことに対して、裁判所がNOを突きつけたのが今回の判決と言えよう。

裁判所が公平であることはとても重要である。
今回の判決はある意味、アメリカ合衆国の建国理念に反する立法不備が裁判所によって是正されたといえる。
たとえ時の権力者、政治家が国の理念や憲法に反する悪法を作ったとしても、憲法がしっかりした内容であり、かつ、裁判所が正常に機能すれば、そのような悪法にメスを入れることができる。

人の振り見て我が振り直せの習いに従い、アメリカの今回の連邦最高裁の判決をみて、我が国の在り方を見直そう。

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