新薬や新型ワクチンの危険性はいつの時代もすぐに忘れ去るのが人間だ

世界中でも傾向は同じではあるが、特に日本では過去の壮絶な薬害の過去がきれいさっぱり忘れ去られる傾向がある。
今回の新型コロナワクチンを特例承認して接種することが決まった時に筆者が周りの者に過去の薬害被害やワクチン騒動について話しても20人に1人さえもワクチンの危険性を疑う者はいなかった。

薬害というのは被害が甚大で、一度被害にあったら、「やっぱり薬を飲むのをキャンセルします」とか、「やっぱりワクチンは打たないことにします」などは出来ない。
一度体内に入れてしまったものは基本的には絶対に解毒できない。
気軽に「チクッ」と接種してしまったら、「体への悪影響が酷いから、やっぱりなかったことにしてください!」というのは出来ないのだ。
そんな当たり前のことにすら、全く慎重にならなかったために先進国では少なくとも大多数の者が接種するに至ってしまった。

人間というのは、忘れやすい生き物だ。
それは多くの事を覚えていたままでは、様々な弊害があるため、ある程度忘れやすく出来ているわけだが、薬害というのは絶対に忘れてはいけないことなのだ。
薬を飲まなければ、ワクチンを打たなければ、健康に幸せに暮らせていたにも関わらず、薬害を負ったために命を落としてしまったり、重度な後遺症をもって障害者としての人生を送ることを余儀なくされたりするのだ。

薬害を自らが負い、自分だけが苦しむならまだ良いだろう。
本当に自分が薬害のリスクを承知の上で、敢えてそのリスクを取る決断をしたならば、それはその人の考え方だ。
飲むとき、打つときはとても気楽に考えている人がほとんどで、本当にそこまで考えている人を見たことがないが。

だが、薬害によって家族を失ったり、家族が障害者になってしまった場合には、自分が害を受けるよりも被害は計り知れない。
自分のせいでそうさせてしまったり、自分が止めなかったためにそうさせてしまったとき、その後悔は一生続く。
自分のせいで大切な人を死なせてしまったり、健康に生きていけたはずなのに寝たきりにさせてしまったり、まともに生活ができなくさせてしまったりするのが、薬害なのだ。
その覚悟があって、新薬や新型ワクチンを投与するかどうかを、本当に決めたのかということだ。
※自分が飲ませた/打たせたのに、その責任を全く感じない毒親家族もいるが。

新薬や新型ワクチンの恐ろしさはいつの時代も変わらず、人類の近代史において、その恐ろしさを示してくれている。
人類はあまりにも愚かすぎるので、毎回そのことをきれいさっぱり忘れて新薬や新型ワクチンを喜んで受け入れる者がいつも大多数なのだ。

敢えて予言しよう。
全人類は総じて再び新薬や新型ワクチンの恐ろしさを忘れる。
この記事を読んでくれた人の大半は忘れると断言しよう。
そしてまた新薬や新型ワクチンが出てきた時に、大多数の人間は投与して後悔するのだ。
人類というのは、たった数十年や数年前の歴史からも、殆ど何も学ばないのが現実なのだ。

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