大切なものの存在に失ってから気付くなんて情けなくないか?

日本人はおとなしい。
よほどのことがないと主張はせず、世界一言うことを行く民族であり、奴隷化するには最も適していると言われている。

戦後の政治家はアメリカ派閥かソ連派閥で別れ、どちらの外国の国益に合う政策を行うかだけが国会で争われ、日本人の国益を主張する政治家なんていなかったのが現状だ。
今はそれが、アメリカか中国かその他の外国かという状況だ。
小利口な日本人はいつまで黙っているのか。

私事で恐縮だが、先日、私の友人が亡くなった。
死ぬには早過ぎる年齢で、最後にあったのは一週間前で、その日もいつも通りピンピンしていた。
彼は本当に凄い人で、何かの原因で彼と会えなくなる日がいつかは来るから、一日でも早く彼から多くを学びたいと思っていた。
そんな彼が、突然予告もなくこの世を去った。

健康な彼が突然亡くなってしまったのと同じように、日本では今、多くの人が急死している。
未だに多くの人は、その問題を直視せず、何の疑いも持つこともなく過ごしている。

ある行動を選択するということは、何でもないようなことに見えても、とても重大な決断になることだってあるのだ。
面倒くさいから考えない、自分の問題としては考えない、全部他人任せにして、不利益を認識した時だけ被害者ぶる。
筆者にとっては、反コロナワクチンの人の多くは、「ただコロナワクチンに反対しているだけ」の人のようにしか見えない。
中には立派な人もいる。だが、ワクチン反対と言ってる者の多くは、「ただこの問題にだけ反対派に回れた」だけであり、賛成している多数の者と深層心理は変わらない。
どちらもただ自分が正しいと思ったものに対して、特に深く考えるでもなく、ご都合主義で、大衆にすがり、優越感に浸るだけで、世の中の本質に向き合う気はないのだ。

この記事に多くの人が共感してくれることを願うとともに、あなたの周りの大切な人を失う前に、世の中にあるたくさんの問題に立ち向かい、後悔することのない生き方をしてほしいと、切に願う。

追伸:若くなくなってしまったKさん。あなたの残してくれたもの、あなたとの思い出、あなたが教えてくれた数々の事を決して忘れません。今まで本当にありがとうございました。

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