マスクを強制されることの法律的な意味を考えてみる

梅雨が明けて、日本は全国的な猛暑に見舞われているが、みなさんはいかがお過ごしだろうか。
人間は通常、何かを強制的に制限されていなければ、最も自然で合理的な行動をとるのが本能だと思うのだが、その例に倣って筆者は最近、外に出るときに「腕マスク」をするのを本能的に忘れてしまう。
そうすると、物凄い暑さの屋外でほぼ全員がマスクをして歩いているのを見て初めて「マスクを忘れた」ことに気づくのだ。
本能とは恐ろしいものである。

さて、こんな状況になっても、いろんなところで「マスクを強制される」という場面を見かける。
先日もマスク社会を続けることの弊害について指摘させていただいた。

そこで、今回、マスクを強制すること、されることについて、法律的な意味を法律家として論じてみたいと思う。

まず、国家権力が国民であるわれわれに何かを強制する、つまり、義務を課す場合には法律の根拠が必要なのである。
現在、日本では「マスクをしなければならない」場面を規定した法律は存在しない。
つまり、国家権力がわれわれにどんな場合であっても、どこで何をしようが、「マスクをすることを強制します」ということはできないのだ。
この大原則に従うと、あらゆる場面においてマスクを強制することは違法行為となる。

だから日本政府は「マスク着用の協力をお願いします」というのだ。
強制することは違法だが、協力を求める分には問題がない。
「マスクを着用する」という行為自体が犯罪の場合は、その強力を求めることも違法になるが、「マスクを着用すること」は犯罪でもなんでもないので、それの協力を求めても問題はない。
だが、この協力に応じなければ飲食店に補助金を出さないとか、営業時間の短縮をさせるなど、あたかも「協力に応じなければ行政罰を受ける」かのような印象を与えることで、間接的に強制している。
これは極めてグレーゾーン対応であり、違法に近いが、ぎりぎり合法と言ったものと言える。

しかも、日本人は同調圧力に弱い。
しかも、上の命令に従わないことを極端に嫌う。
本来ならば、「マスクをつけてくれたらうれしいな」と言われても、つけたければつけるし、つけたくなければつけないのが通常だろう。
自分の好きな人がお願いすることなら、少しは聞くかもしれないが、どこの誰かも分からない人間にそのようなことを言われても、普通なら自分の価値判断だけで決めるものだ。
だが、特に政府や地方自治体などの行政が「お願い」したことに対して、それを守らなければ「国家権力に歯向かうという畏れ多いことをする」と多くの日本人は思ってしまうようだ。

「マスク着用の強制」は違法、「マスク着用の協力」は合法、「マスク着用を強制させられるかのような協力要請」は極めてグレーだが合法なのだ。
だが次に、「憲法上どうなのか」や、「強制や協力に従わないことはどうなのか」などについて問題になるが、それはまた別の機会に考察しよう。

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